国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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本から得る知識 ぼんちゃん
読書の楽しみは一人でできる楽しみだ。読書は、設備もいらず、気の向くままいつでもどこでもできる。「オーディオ・ヴィジュアル」の情報が、活字情報を駆逐する時代が来た、という人がいる。しかし、「ヴィジュアル」な情報と言葉による情報とは、互いに他を補うので一方が他方を駆逐するのではないし、一方は他方に代わるものでもありません。要するに「オーディオ・ヴィジュアル」の時代が来たのではなく、活字情報に「オーディオ・ヴィジュアル」の情報が加わったというだけのことなのだ。本を沢山読むということは、日本語を沢山読むということであり、日本語による表現の多様性、その美しさと魅力を知るということもあるだろう。それも読書の楽しみの一つだ。
最近よく「実写化」という言葉を耳にする。ドラマでも映画でも実写化されたものが多い。最近見た映画の中で「ゲド戦記」がある。これは、ル=グウィン著のゲド戦記をスタジオ・ジブリがアニメ化したものだ。私は、映画も本も読んだのだが、やっぱり原作の本が面白い。映画やドラマなどにすると、時間などの関係上、話の内容を削らなくてはならないのだろう。そのため、どうしても「満足感」というものが得られない。本好きの私にとっては、原作で読んだほうが面白く感じる。しかし、最善の方法と思われるのは、映画を観てから原作を読むことだと思う。
私はクラスメイト公認の「本好き」だ。基本的に、電車に乗るときには本を持っていくし、学校での休憩時間には些細な時間でも、本を読む。本によって仕入れた知識は、少なくない。ただし、私は英語の本も読めるのだが(帰国子女のため)英語の活字はどうも苦手で、英語の本を読むときは、本嫌いの人の気持ちもわかる。人は
「ぼんちゃんは、本に夢中になると、人の話を聞いてないよ。」
というが、そうでなかったときが何回かある。その代表例がこれだ。その日私は学校の授業中に本を読んでいた。(本当はいけないんだけれど。)一応、自分では隠していたつもりが、先生に見つかってしまっていた。そこで先生は私に問題を、突きつけた!
どのような問題だったか忘れてしまったが、私は、ぱっ!と答えを言った。後で友達に聞いたところ先生は、「くそっ」というような顔をしていたらしい。良いのか悪いのか分からないのだが、私はこの事件によって「ぼんちゃんは、一応話を聞いている」ということを証明したのだ。
人間にとって、読書は必要不可欠なものであろう。本を読まなければ、知識を得られず、また学校の授業に「図書」が取り入れられているのだから読書は必要なのだろう。それに、いつも易しい本ばかりでなく、難しい本を読むことも大切だ。そして「論語読みの論語知らず」ということわざがあるように、本を読んだのならば、本が身についていないといけない。
講評 kirara
長文の筆者が言うとおり、読書は道具も場所も相手もいらなくて便利です。それでも「なかなか本が読めなくて・・・」と言っている私は、反省しなければなりませんね。
<<こうせい>>たいへんよくまとまりましたね。一カ所、「敬体」のままになっているところがあるので、直しておきましょう。オーディオヴィジュアルのところにふれたことで、筆者の言いたいことが全体的に見えてきます。
<<だいざい>>さすがぼんちゃん、読書に関する実例は予想通りたくさんありそうですね。映画との比較、そして自分の「本好き」に関連するエピソード。実例の内容に幅があってとてもいいです。ただし、授業中は先生の話をきちんと聞きましょう(^_^;)
<<ひょうげん>>読書というテーマにぴったりのことわざが入りました。
<<しゅだい>>様々な面から見て、読書は本当に大切なものですね。そのことに気づく(気づかせる)のが早いか遅いか、または気づかないまま過ごしてしまうかで、その人の人生の厚みも変わってくるような気がします。ぼんちゃんは、着実に厚みを増してきているね。
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