先頭ページ
前ページ
次ページ
最終ページ
| 講評 | 
| 題名: | 
障害者の権利 | 
| 名前: | 
潤之介 | 
さん( | 
かな | 
) | 
中2 | 
イチゴ | 
の | 
谷 | 
の広場
  | 
| 内容 | 
◎ | 
字数 | 
1116 | 
字 | 
構成 | 
◎ | 
題材 | 
◎ | 
表現: | 
○ | 
主題: | 
◎ | 
表記: | 
○ | 
   久しぶりだね! 夏休み中もクラブで忙しいのかな? "☆" 今回の題材は、よく取り上げられる話題でありながら、 | 
| 意外に実感を得にくい内容かもしれないね。私たちの周りに、ごく普通の状況で障害を持つ人を見かける機会が少ないも | 
| のね。それはそもそもの数が少ないのか、他の要因で私たちの目に入らないのか、そういう点も考えてみるといいね。  | 
| 障害を持つ・持たないに関わらず、「できないことの手助けをする」という意識そのものは、否定されるべきものではな | 
| い。高齢者・妊婦なども、状況によっては「手助け」を必要としているだろうからね。問題は、「必要としていないのに | 
| 」「善意(の押しつけ)」で、自主性を損なわせるような雰囲気を作り出しているということだ。同じことを自分がされ | 
| ると嫌だろうな、と思えることを、障害者に対しては「善意」の名のもとにやってしまう。もしくは、認められる当たり | 
| 前の行動が制限される。こういうところを、筆者は「対等でない」と考えているのだね。 もっと追究していけば「障害 | 
| 者」であっても、その前に「一個人」であることを筆者は言いたいのかもしれないね。「障害者はどう思うだろう」とひ | 
| と括りにすること自体、そこに対等な個と個のつきあいを避ける意識があるのではないか? そこまで考えてみるといい | 
| ね。立場を逆にしてごらん。「障害がない人は、みんな……と考えている。」と言われると、「いや、私は……。ひと括 | 
| りにしないでほしい。」という意見が出てくるに違いないでしょ。 | 
|    | 
けいこ | 
先生( | 
なら | 
) | 
ホームページ