| 長所と短所 |
| アジサイ | の | 峰 | の広場 |
| 武照 | / | あよ | 高2 |
| ある日、日本の蟻はキリギリスに言いました。「遊んでばかりいないで、ち |
| ゃんと働けよ。」キリギリスは歌の練習の量を減らしてえさを集め始めました |
| 。次の日キリギリスは蟻に言いました。「働いてばかりいないで、歌ぐらい歌 |
| えるようになれよ。」そこで蟻は働く時間を減らして歌おうと努力しはじめま |
| した。 |
| 日本とはつまりこのような社会なのである。すべての国民が短所をなくし、 |
| 長所は目立たぬようにする。これが平等だと言うことである。しかしこの短所 |
| をなくし長所を押さえると言う平等主義は個人の質を落とすと言う点で問題で |
| あろう。 |
| この考えは短所は罪であるとする日本人の意識によっているであろう。この |
| 場で言うのもなんだが私は球技が大の苦手である。バレーボールなどというつ |
| まらぬスポーツがあるが、敵チームのボールが私の方に飛んでくると私のチー |
| ムの皆は諦めた顔をする。私が期待通り、とんでもない方向にボールをとばす |
| と皆は冷たい視線で私を叱責することとなるのである。しかしはっきり言って |
| おくが、出来ないことは出来ない。蟻は歌う |
| ことが出来ないし、キリギリスは冬を越すことができない。たしかに短所を |
| 努力によって克服しようと努力することは重要かも知れない。しかし短所を罪 |
| だとする考えは帰結主義に傾きがちであるのも事実である。短所は短所として |
| 認め、長所において日とを評価していくためには、短所は罪であるとする意識 |
| を我々が改めることが不可欠であろう。 |
| この短所を罪とする考えの裏には日本人の持つ平等主義がある。「人間はジ |
| ンカンと読みます。人の間にいてこそ人間なのです。みんなの中の自分という |
| ことを忘れぬように。」このようなことを聞いたことがある人は多いであろう |
| 。集団の中の個人ばかりが強調された社会の中では統一性が重要となる。その |
| ため突出した長所や短所は集団にとって害であるということである。同じであ |
| れば良いとする平等主義ばいたるところで見ることができる。女性の立場の強 |
| 化をうたう女性のための党なるものがあるが、本来政治とは女性や男性をこえ |
| て人間としての目線が必要なはずである。進化学者のスティーヴン・ジェイ・ |
| グールドは「女性が男性より平均的に足が遅いと言うことを差別だと言うのな |
| ら、女性が男性より長生きであると言うことも差別ということになってしまう |
| 」と述べている。本来平等とは同じにすることではなく違いは違いとして認め |
| 合うところから始まるはずである。 |
| たしかに短所をなくすことを目標とすることは粒ぞろいの能力を生み出し戦 |
| 後の経済成長に役立ってきた。しかしより能力の質と多様性の求められる現在 |
| 、長所を伸ばすという意識が大切であろう。キリギリスの美しいコーラスを聞 |
| きながら蟻はせっせと冬の蓄えをする。そんな社会が求められている。 |
| (教室のデータベースに入っていなかったので、再度送信しました。なね) |