| マシュマロ | 
| アジサイ | の | 滝 | の広場 | 
| がっちゃん | / | てな | 中3 | 
| <img | 
| src="http://www.mori7.com/izumi/ib/ib990504/img19990615212224.gif"> | 
| 落ちてきたら | 
| …何度でも | 
| 打ち上げよう | 
| 美しい願いごとのように | 
| この詩のいのちは美しい願いごとのようにというすばらしい「比喩」にある | 
| と言えるだろう。この詩を読むと、いつも光さす空を見ていよう、紙風船が落 | 
| ちてくるのに目をとめるより、何度も打ち上げるそのことに生きる証を見つけ | 
| よう、というような祈りに似た詩の心が伝わってきて、励ましさえ感じる。と | 
| ころで、いつだったか、テレビで見たのだが、スポーツ評論家のSさんが「フ | 
| ォークボールの投げ方を選手に教えるのに、カーテンのヒモを下へ引っ張るよ | 
| うになげるんだよ、とたとえを使うと、よりよく伝えることが出来る」と言っ | 
| ていた。驚いた。肉体的な技術の説明に比喩が大きな働きをするなんて! | 
| 比喩は、俳句やことわざだけでなく、日常の会話にも使われている。「みん | 
| なが白い目でみてるよ」「僕、医者の卵なんです」「そんなん、ドラえもんの | 
| 世界やん」などなど(<a | 
| href="http://www4.justnet.ne.jp/~taiyaki/regular/linguistics/metaphor/ | 
| index.htm">ここ</a>をみれば君も比喩博士(謎)) | 
| )考えればいくらでも思いつく。比喩は私たちの知らないところで活躍中な | 
| のだ。 | 
| 比喩の活躍はこれだけではない。私はこの前、数学の時間に平方根を習った | 
| 。それでなくても大嫌いな数学。平方根もさっぱり分からなかった。「4√7 | 
| +2√3はこれ以上計算できない??はあ?6√7なんじゃないわけ?」しか | 
| し、先生の一言ですぐにわかった。「√7と√3を、文字にたとえればいいんだ | 
| よ」なるほどと、思った。確かに、4a+2bはこれ以上計算できない。すば | 
| らしかった。本当にすばらしかった…。 | 
| 他にも、「包丁を使う時は、包丁を持ってない方の手を猫の手にして添える | 
| 」というのも比喩だ。 | 
| しかし、比喩を使わないで説明した方がいい場合や、反対に比喩を使った方 | 
| がわけがわかんなくなる場合もある。例えば、トランペットの吹き方で、私は | 
| 、「口の中にマシュマロを詰め込まれた時のように吹くんだ」と、言われた。 | 
| 「は?」と、思った。だいたい、口の中にマシュマロなんて詰め込んだことは | 
| ない。そして、ためしに詰め込んでみたが、喋りづらいだけだった。だったら | 
| 、「口の中を膨らませて」の方がよっぽどわかりやすいはずである。 | 
| このように、比喩は幅広く使われている。ちょっとした比喩で感情を表した | 
| り、理解できたりするのだ。こんなすばらしいモノを俳句にいれたのはすごい | 
| 。でも私は、比喩には人のセンスも入ると思った。自分が見たことを例えて人 | 
| に伝える時には、自分が感じた例え方をする。しかし、他の人が見たら別の感 | 
| じ方をして、別の例え方をする。だから、例えることが=理解には発展しない | 
| ときもある。まあ「一長一短」という四字熟語もあることだし、比喩はとても | 
| すばらしい代物だ。比喩を積極的に使うことをお勧めします。 |