| 見てから知れ | 
| アジサイ | の | 谷 | の広場 | 
| 哲也 | / | くさ | 中2 | 
| まず見ること、それに触れること、体験すること、そこから得る直感を大事 | 
| し、そして見るという、見てから知るという順序が大切だ。しかし、自分の感 | 
| 性が絶対的なものだと思っていても、他の人々の声に耳を傾ける余裕、このバ | 
| ランスも大切である。 | 
| 私は、卓球部に入っている。しかし、仮入部は野球部に行った。なぜ、卓球 | 
| 部に今入っているのに、仮入部だけ野球部なんだ?と、疑問を持つひとがいる | 
| と思うが、その答えは次の通りだ。私は、中学に入学した時から何部に入ろう | 
| かな?と、悩んでいた。そこで思い浮かんできたのが、「野球部」と「卓球部 | 
| 」だった。これには本当に悩まされたが、「卓球部」は私たちの間で、なんと | 
| なく暗いイメージというもがあった。今となっては、先入観に捕らわれすぎて | 
| いた、と思っている。というわけで、仮入部は「野球部」に入った。このよう | 
| に、私は先入観に捕らわれすぎていたため、危なく今の「卓球部」にも入って | 
| いなかったかもしれない。知ってから見るのではなく、見てから知るというこ | 
| とが大切だ。 | 
| また、「卓球部」には入れたのは、一般的な知識や、他の人々の声を取り入 | 
| れたからだと思う。さっきの続きになるが、仮入部は「野球部」にしたものの | 
| 、なんとなく引っかかる物があった。そこで、もう一度「野球部」にするか、 | 
| 「卓球部」にするか考えてみた。今度は本格的に練習内容や試合での実績など | 
| を見比べ、これがよかったのか、今でも楽しくやっていける「卓球部」に入っ | 
| た。自分の感性が絶対的なものだと思っていても、世間の声に注目するという | 
| ことも大切だ。 | 
| 「百聞は一見にしかず」という言葉があるが、いくら百回だろうが、千回だ | 
| ろうが聞いたとしても、知識が頭の中にあればあるほど、素直な直感という物 | 
| が得られなくなる。一度でもいいから一番最初に見るということを先行させて | 
| 、そこから得る直感を大切に保護し、また、他人の声にも耳を傾け、このきわ | 
| どいバランス、使い分けが大切だ。 |