| 見テ 知リソ | 
| ウグイス | の | 滝 | の広場 | 
| GTO | / | えま | 中3 | 
| 見テ 知リソ 知りリテ ナ見ソ 見てから知るべきである、知ったのちに | 
| 見ようとしないほうがいい、という意味でしょうが、じつはもっと深い意味が | 
| あるようなきがする。われわれは「知る」ということをとても大事な事として | 
| 考えている。 | 
| しかし、ものごとを判断したりそれを味わったりするときには、その予備知 | 
| 識や固定観念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それ | 
| に触れること、体験すること、そしてそこから得る直感を | 
| 大事ににすること、それが大切なのだ、と言っているのではないか。 | 
| 車でも、同じようなことが言える。例えば、フェラーリのことを知り、研究 | 
| して本当に乗ることになったとしたら、その魅力は二倍にも、三倍にもなる。 | 
| まあ、自分が考えたことなのだが、好きな物には興味を | 
| しめし、知る事というのが大切になってくる。 | 
| しかし、例えば、政治などの頭が痛くなるような事には興味をしめさない自 | 
| 分であるが、自分で知るということは誰かにやりなさいと言われない限り目を | 
| 通さない。 | 
| 読書とは、自分の頭で考えるのではなく、他人の頭で考える事である。「シ | 
| ョーペンハウエル」 | 
| 人間関係でも他人の気持ちになって考えるということと同じような気がする | 
| 。 | 
| 人間にとって「知る」ということは、なんなのだろうか。 |