| 人間はほかの人間と |
| イチゴ | の | 池 | の広場 |
| 太一 | / | あうけ | 中1 |
| 人間は、ほかの人間と自由にまじわることができる。あるいは、まじわる相手 |
| を自由にえらぶことができる。相手方に誰を選ぶかは、ある意味では自由であ |
| り、べつな見方からすれば偶然である。とりわけ、現代のように都市化がすす |
| み、偶然性の高い社会では、人間関係は、ふと結ばれ、そしてふと消えて行く |
| 一時的なものであることが多い。しかし、そのように自由な人間関係のなかで |
| 、ひとつの例外がある。それは血縁の関係、とりわけ親子の関係である。友人 |
| だの隣人だの夫婦だのは「えらぶ」ことができるが、親子関係だけは「選ぶ」 |
| ものではない。しかし、現代のひとつの特徴は、親子という関係が「問題化」 |
| してきた、ということであろう。昔はそんなことはなかった。なぜなら、今の |
| 社会が伝統社会ではなくなってしまったからだ。 |
| しかし、うちはまだ、そんなに親子関係は問題化してないとおもっていた。 |
| そのことについて考えてもなかなかなぜそうなのかわからない。べつに僕は特 |
| 別に育て上げられたのではないし、また、僕のほうが特別に親に気を使って親 |
| 孝行しているわけでもない。しかし、やはり親子問題はうちでもあった。しか |
| しそんなに問題化してはいない。そのことを親に聞いてみると、親はじぶんが |
| 僕みたいな年齢のころ、よくけんかしていた。だから、僕たちみたいだったこ |
| ろのことをを思い出して、こっちの少しぐらいのことは認めあってくれるので |
| 、問題はそれほど起こらないらしい。同じように親子同士の落差もそれで認め |
| てくれている。 |
| この頃、僕もこのような事がなんとなくわかってきたように思う。だから僕 |
| も親との落差を認めて、両方で認め合うようにしていきたい。 |