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第一に、歴史においては
アジサイの丘の広場
T.O/いう高3
 歴史における事実とは、科学とは違って歴史家によって行為者・記録者など
の人間の思想を自己の思想により理解し識別して「加工」されたものであるの
で、歴史は時代ごとに書きかえられるものである。それは、歴史が単なる過去
の記憶や、歴史家の偏見と憶測の産物ではなく時代が新たに提起する問題を証
拠と推論によって解決する学問的認識方法の一つである。これは学問にも共通
する所があり、問題意識を持って取り組まなければ身に付けることは非常に難
しい。
 
 高校までの教育とは、一概に言えるものではないが教科書又はそれにちなん
だ教材に書かれてあることの暗記が中心であり、その内容を少しでも多く覚え
ている学生がいわゆる「優秀な学生」という扱いをうけるわけである。あまり
にもこういった教育の風潮が蔓延しすぎて日本の学生が、史料を丸写しして歴
史作家を気取っている人間と何ら変わらないようになってしまっている。
 
 高校までの学校は、大学のように自分が希望した学部に分かれられるわけで
はないから、興味ある分野もない分野も一緒に学習しなければならないので、
なかなか今学んでいることについて自分だったらこう考えるといった心境にも
なりにくい。しかし、ただの丸暗記では遅かれ早かれ忘れてしまうし、未来に
何が起こるだろうかと創造を膨らましてゆきながら教科書に目を通せば、そこ
に書かれてあること以外にも何か得られるものが必ずあるはずである。
 
 与えられたものをそのまま頭に入れることは、学習の最も基本的な形である
から、否定するべきことではなくむしろ大切にすべきことである。しかし、そ
こからいつまでも抜け出せずにいることがあったらそれでは成長がない。基本
ばかり練習していても、適当に実践的なことを試してみなければ自分がどの程
度練習してきた基礎を発揮できるか見極めることができない。暗記は、考えを
発展させるための一過程であって暗記だけで終わってしまっては折角の知識を
生かす場所が見つからず、考え方の中に定着しない。日ごろから問題意識を持
ち続ければ、見聞きしたこと全てが自分の血や肉になる。それが真の学問の姿
ではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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