ガジュマロ2 の山 6 月 1 週 (5)
★経済のグローバリズムは(感)   池新  
 【1】経済のグローバリズムは何もこの20世紀の世紀末になっていきなり生じたものではない。確かに、戦後50年ほどの冷戦体制の中では、自由主義世界の世界経済の枠組は比較的安定していた。【2】少なくとも、ブレトンウッズ体制に支えられてきた70年代の前半までは、世界経済体制は、その内部に矛盾を含みながらも、比較的安定した制度的様式のもとに置かれており、それぞれの国家は、主として固有のケインズ主義政策、福祉政策、産業政策などを組み合わせてナショナル・エコノミーの安定と成長を達成してきた。【3】この戦後経済システムからすれば、90年代に入ってからの世界経済の動きは新たな段階に入ったかのように見える。だが、もう少し長い歴史的な展望のもとで見ればどうだろうか。むしろ、ナショナル・エコノミーの枠組が安定していた冷戦期の約50年の方が例外的だとさえ言えるのではなかろうか。
 【4】実際、資本主義経済の歴史とは、ほとんどグローバリズムと国家との間の抗争と依存の歴史だと言ってもよい。国境を越えて利潤機会を求めて拡張しようとする「資本」の論理と、国民の生活の安定条件を保証するという国家の要請は根本的に対立する面をもっている。【5】この対立は常に正面切って争われたわけではない。だが、潜在的であれ存在するこの対立が、経済についての2つの見方を形作ってきたと言うことはできよう。一定の場所からは容易に動くことのできない人間の生活を軸にして経済を理解するという見方が一方にあり、【6】他方には、逆にグローバルな資本の動きから「国益」を見ようとする経済の見方がある。この2つの見方、あるいは2つのロジックが経済の歴史を貫いていると言ってもよい。
 そして、おそらくいくつかの歴史状況の中で、この対立がきわめて鮮明に現れ出た時代というものをわれわれは見ることができる。【7】例えば、まだ西欧で近代資本主義が成立し、急速な展開を見せ始める頃、17、18世紀がその1つである。新大陸からの金銀の流入と対アジア、新大陸貿易の拡大という事態を背景に、オランダ、イギリス、フランスを中心に急速な商業の展開が見られたのであり、これはまぎれもなくグローバリズムと称してしかるべきものであった。【8】そして、このグローバリズムという現実に対して、重商主義と重農主義、さらには重商主義とアダム・スミスの経済学と∵いう2つの経済の見方が対立したのである。
 グローバリズムが明瞭に問題となる次の時期は19世紀後半から20世紀初頭の第一次大戦までである。
 【9】いわゆる帝国主義の時代であり、まさに帝国主義という名の経済的グローバリズムがこの時期を支配した。今日、マルクス、レーニン主義的な意味での帝国主義という呼称はあまり使われないし、マルクス主義的なレジームのもとでの帝国主義の理解はもはや適切なものではない。【0】それに代わって、ロビンソンやギャラハのいう自由貿易帝国主義もしくは自由帝国主義なる観念が支配的となったが、彼らが「自由貿易帝国主義」と言ったときには、多くの場合ユダヤ的資本とも結び付いたイギリスの金融、大商業を中心としたグローバルなジェントルマン的金融資本に主導された経済を考えており、これはむしろ、イギリス国内の産業資本とはときには対立するものであった。ここにも、明らかに2つの経済の類型を見ることができるのである。(中略)
 ところが、この第一次大戦は、別の意味で経済の構造を大きく変えるターニング・ポイントともなっている。というのも、第一次大戦を契機として、世界経済の中心はイギリスからアメリカへと移行したからである。そして、まさにアメリカ的なレジームのもとで経済の中にある2つの類型、グローバル・エコノミーとナショナル・エコノミーの対立というモーメントは背後に退いたのである。このことはまた本書の以下の章で述べるが、戦後のわれわれにはほとんど自明で所与のように見える、アメリカを中心とした戦後の経済構造こそ、むしろ歴史的には特異なものであったと言うべきだろう。その意味では、今日のグローバリズムの潮流は、そしてそのもとでの国家間の確執は、決して目新しいことではなく、むしろそれこそが資本主義の歴史を貫いているものだと認識しておいた方がよい。歴史は再び回帰してきたのである。

(出典:佐伯啓思(けいし)『貨幣・欲望・資本主義』)