少し立ち止まって、考えよう

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書いた人はHisamichi Y. Takahashi on 99/05/17 22:53:55:

この文章は友人に送ったメールのコピーです。
今の自分にとってこれがいちばん大きな課題です。
多少読みづらい表現や文法滴におかしな点がありますが、どうか寛大に見てやってください。

「to my friends,

僕は恋をした。誰? いや、学問に。 本を読んでいると、好きな人に声をかけるときのような胸の高まりがする。 いわゆる「ドキドキ」ってやつ。 僕は告白します。

価値相対主義についての考察。 価値相対主義とは、 僕が車に轢かれて全治一ヶ月の重症をした。 あぁっ、なんて不幸なんだ!! と思う。
だけど、 死ななくて良かった!! という考え方もできる。 要するに、人の考え方で価値観が変わること。絶対的
な価値観はない!と言う主義。

宗教というものは、もしかすると相対的なベクトルの上に何か絶対的なものを存在させるもの、という定義を僕は考えた。けれども、この説明では不十分、いや宗教的だ けど何か違うものを説明しきれない。がっかり。確かに欧米のカトリックというものはこの定義に当てはまったかもしれない。でも、当時の日本仏教にそのような拘束力があったかどうかは疑問がある。江戸時代の仏教は相当幕府に干渉されていたから、幕府の「価値観」でその宗教の権力が決まっていた。だから、「絶対的なもの」では
なかったと思う。

本屋に行くと、参考までに二子玉川の紀伊国屋だけれども、本の列の左端に臨床心理 学の本がある。隣りはカウンセリング。そのとなりのとなりは宗教学。じゃ、抜かし たところの存在は? それがいわゆる精神世界とかニューエイジといわれるもの。それらなしでは現代の宗教は語れない。

宗教の一般的定義は
1.教義
2.儀礼
3.組織 の三つがあるものだとされる。
でもニューエイジ運動の集団は教義もなければ儀礼もないし、セミナーは一回限りで 解散してしまう。それは宗教と言えるのか。 どうもいえるらしい。これ以上複雑なことは僕にはまだわからな い。でも紀伊国屋の話でわかるように、どうも臨床心理学を「社会的に」正しく用い ればそれは保険がきかないが「医療行為」
であり、「術者本人の利益ために」悪意をもって用いれば宗教まがいの詐欺行為である。しかし事実は精神世界がひそかに「若い」人の間でブームになっている。

Altered State Consciousnessという状態。いわゆ「トランス状態」という状態は、 実は意識的に作り出せるものらしい。ということは、万人が教祖になることのある可 能性がでてくる。だって、一定のマニュアルによって Altered State Consciousness を作れるのだから。それを知ったうえで、ニューエイジ運動にかかわれば損をしない のではないか。なぜこんな言い方をするかといえば、日本国憲法は信教の自由を犯してはならないといっているから。いわばこの憲法はもろ刃の剣でもある。宗教法人に「自由」を、国民に「価値相対主義」を与えたので、オウムのようなセクトが再び発 生しないとは言い切れない。その中でアイデンティティの喪失なども起きてくる。

以上。 心の中でたまっていたものを吐きだしました。 学問にふられないように祈らなくては。
祈る? これは宗教的行為の代表的なものですね。
たくさん問題提起をしたつもりです。自分一人じゃなにもできません。なぜなら価値絶対主義の世界だから。北朝鮮のような国にはこの価値相対主義もなければ、信教の 自由だってないし、新宗教もないし、ニューエイジもない。こういうことを考えられる我々は幸せなの
か不幸なのか筆者の思うところである。

一般教養でここまで踏み込んでいいのか?

キミのことは嫌いだけど、やっぱり好きだ!!

以上。Time is up. 用賀着。

@三田線+半蔵門線+新玉川線車内で。

南無阿弥陀佛

高橋陽道
Hisamichi Yodo Takahashi

大正大学文学部国際文化学科(宗教学専攻)

E-mail: hisamichi.takahashi@pdx.office.ne.jp」

お疲れさまでした。駄文に付き合っていただいてありがとうございます。
これを読んで「けしからん」と思う人もあると思います。それこそ「価値相対主義」なのです。

メール:hisamichi.takahashi@pdx.ne.jp


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