書いた人は中久喜 on 98/09/19 01:30:41:
今度子どもの通う幼稚園で運動会の開会式で、国旗が掲揚されることが
わかった。自分はその理由が知りたくて、幼稚園に問い合わせた。
その答えは、オリンピックで国旗が掲げられるのと同じだというのだ。
競技を始める前に気分を高揚させるのだという。しかし、気分を引き締める
ためなら幼稚園の旗でもいいだろうし、何で日の丸を持ち出さなくてはならないのか。
自分はここに危ないものを感じてしまう。
先日、サッカーの中田選手が、国旗が揚がっても何も感じない。国歌を歌わないと
伝えられて、右翼が騒ぎ立てた。しかし、自分たちにとって国旗や国歌というものは
与えられた物に過ぎず、中田選手の感覚が戦後世代の普通の感覚だろう。それを
右翼が問題にするのは、その感じ方を変えていきたいからに他ならない。
教育の現場では、文部省の国旗、国歌の強制がなされようとしている。
戦争の認識についても、従軍慰安婦はなかったとか。非難されるいわれがないとか
主張する集団が登場し、宣伝を繰り広げている。この現状の中で、国旗を掲げること
はいかなる意味を持つのか幼稚園には良く考えてもらいたい。
自分は国旗と、天皇制、戦前の日本の国家体制を結び付けて考えてしまう。
再び戦争という悲惨な状態を引き起こさないために何ができるか。自分にできることは
一つ。自分の近くから、戦前に引き戻そうとする試みに反対を唱えていくことである。