国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   あだなで呼ぶと…   ゆっぴ

 わたしは、あまり友達をあだなで呼ぶことをしない。しかし、私のクラスの男子はあだなで呼び合っていることが多い。わたしは、あだなで人を呼ぶことは悪いことだと思う。私はあだなで人を呼びたくもないし、自分をあだなで呼ばれたくもない。
 その理由にこんなものがある。あだなは、時には人を傷つけることがある。例えば、「ゴリラ」や「ブタ」、「ババァ」などと呼ばれると非常に気分が悪くなる。そのあだなでずっと呼ばれ続けると、その人はもしかしたらとても傷つついてしまって、学校に来れなくなってしまうかもしれない。学校には来ていても、ずっと笑わなくなってしまうかもしれないのだ。あだなは、いじめ問題となる大きなきっかけでもあるのだ。
 もう1つ理由がある。今度は、その人自身も気に入っていて、何の問題もないあだなでも、どこかで同じあだなの人がいると誰が誰なのか分からなくなってしまうということだ。例えば、ある由紀子さんという人が今度近くにある公立の中学校に行くことになったとする。中学校ではいろんな小学校からの人が入ってくる。由紀子さんはA小学校からたくさんの友達と一緒に入学した。由紀子さんは友達からは「ゆっこ」と呼ばれている。ところが、B小学校からもたくさんの人が入学してきて、その中に由紀子さんと同じ「ゆっこ」というあだなで呼ばれている人がいる。そうすると「ゆっこ」と呼ぶとどちらの事を呼んでいるのかわからなくなってしまう。しかしそのあだなでたくさんの人がその人のことを覚えていて、あだなを変えることができない。このような問題が発生する。今の例では同じあだなの人が2人だったけれど、もしそれが3・4人いたらもう何が何だか分からなくなってしまう。これがわたしがあだなで人を呼ぶことは悪いことだという2つの理由だ。
 わたしはあだなで呼び合わないほうがいいと思うが、あだなは良いと思う人もいる。その人たちの理由は、あだなで呼び合うと親しみを感じることができるからだという人が多い。しかしわたしは、もっとほかのことで友達との親しみを感じればいいと思う。
 わたしはあだなで人を呼び合うべきではないと思う。これからは、その人の気持ちを優先していじめが起こらないように、そして心を傷つけないようにしていくことが大切だと思う。

   講評   inoko

 ゆっぴさん、こんにちは。
あだ名とは、人間関係の潤滑油である。あだ名を評したそんな言葉があります。しかし、最近では、そのあだ名がいじめにつながるという現象が起きています。本来、親しさの象徴とも言うべきあだ名が、人を傷つける道具になってしまっている。これは、とても悲しいことですね。私も、小さいころにあだ名によって少し心を痛めた経験があります。そんな経験があるからこそ、私はユーモアの感じられるような、それでいてその人の良い特長が感じられるようなあだ名が最高であると思っています。そして、今ではあだ名をつけるのが少し得意になりました。でも、ゆっぴさんが書いているように、あだ名で親しみを感じるのではなく、もっとほかのことで親しみを感じればいいという意見にも賛成です。あだ名で呼ぶ呼ばないにかかわらず、円滑な人間関係のために、お互いを理解しあおうとする優しい気持ちが必要なのでしょう。


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