国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   視野の範囲   ビーバー

 私の家には父が買ってきた、クラシック音楽をまとめたCDがたくさんある。私自身はあまり進んで聞くことはないが、父がよく聞いているため、曲全体やCD内の楽曲すべてを耳にすることもある。じっくりとクラシック音楽に耳を傾けていると、音の深さがあることが時々感じられる。聞いていてだんだん真面目な方向に引き込まれることさえある。私もこの文章の筆者と同じように、意味の込められたクラシック音楽を、コマーシャルの中でカット済みで流すほどの軽薄さは捨てるべきだと思う。
 その方法は、学校教育の家庭でも思考する機会を設けることである。ここでは、年々競争の激しさが増している中学受験を挙げる。一昔前までは答えだけを書かせる問題は少なくもなく多くもない状況だったものの、開成中学の国語では6年前以降は記号選択の問題はない、つまり考えなければ話にならない。さらに、栄光学園中学の算数は全問が過程まで書かせるものになっている。私も実際に受けて撃沈した(笑)。これらは考えることの大切さを顕著に示していると思う。素早い結果の算出だけを求めるのならば、ノーベル賞を受賞できる優秀な人々はこの先途絶えてしまうに違いない。ノーベル賞の受賞には優れた能力の他に弛まぬ努力も欠かせないのだ。
 確かに、すぐに答えが出たほうが気分がいいし、社会に出ても「即戦力」として評価の基準ともなる。しかし、「今人間に必要とされている感覚は、『さらさら』ではなく『じわじわ』である。」という言葉に表されるように、自分の考えを「じわじわ」と広げていくべきであると思う。「さらさら」では考えている意味がない。とにかく、軽薄な文化は少しやめるべきだ。変えるならスケールを大きく見て、そして自分なりの考えを作り出すべきだと思う。

   講評   nane

 すっきりとまとまった。
 清書は、1200字ぐらいまで長く書いてもいいよ。昔は、新聞のコンクールなどに応募するために400字ぐらいに縮めていたけど、今は入選清書を選ぶので、長くても力作ならそれでいいことになった。
 「さらさらではなくじわじわ」というのは、表現としては面白いけど、小論文の語彙としてはやや感覚的。


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