創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   方言で「つるべ」   珠雷

1. 方言で「つるべ」のことをツブレ、「ちゃがま」のことをチャマガ、「つごもり」をツモゴリと言う所がある。このような現象は幼児の言語に見られるもので、おそらく起こりは幼児時代の言語に始まったものであろうが、ある地方でこのような誤りが定着したのも、本来「釣る瓶」「茶釜」「月隠」であるという言語意識が薄れてしまったからであろう。語源がわからなくなると、もとの語の発音や意味に変化を来すことがある。漢字の場合には、それに使われた漢字が忘れられると、意味用法の転ずることが少なくない。ことに話し言葉では漢字でどう書くかを問題にしないから、意味を指示するものがないためとかく変化しがちである。
2. たとえば「馳走」「遠慮」「結構」「世話」等の漢語は話し言葉で日常語として使われているうちに、原義とかなり違った意味用法になっていった。
3. 「馳走」は、もとの漢字から言えば、はしるの意だが、今ではおいしい料理を意味する。おいしい料理はいろいろ手数や労力がかかるから、「御馳走」と相手に礼を言ったところから、現在のような意味に転じたのである。「遠慮」はひかえ目にする、さしひかえる意に使う。しかし、もとの意は、「遠きおもんばかり」である。遠きおもんばかりによって、積極的には行動しないことが起こる。そのことから、現在のような意味に転じたものであろう。
4. 「結構」は、もと建物や文章の配置構成を意味する語だが、「立派な結構」「見事な結構」というようなほめ言葉から転じて、立派だ、見事だという意になったのである。「好天」
のことを「天気」と言うのも、「よい天気」と使っているうちに「よい」が省かれて「天気」だけでも好天を意味するようになったのと似ている。
5. 「もう結構です」の「結構」は、立派だ、見事だの意からさらに転じたものであろうが、このように次々と意味が転じていくのは、話し言葉では「結構」と言う漢字の字面が思い起こされることがないからであろう。
6. 「世話」も、世間話、世のうわさの意から、今の「世話になる」「世話をかける」「世話する」の用法が生まれた。
7. 方言で、裁縫することや縫い直しをすることをセンタク(またはセンダク)という地方がある。センタク(センダク)からは漢字の「洗濯」が連想される。もし「洗濯」だとすると、それは洗いすすぐことである。昔は一旦身につけた着物を、ほどいて、洗濯し、縫い直してまた身にまとうのが普通だった。そこで「洗濯」という語を使ううちに、「洗濯」の漢字表記が忘れられてしまい、用法がずれて縫い直しの意味になり、さらにそれが転じて、新しく反物を裁断して縫うことにも、このセンタクという語を使うようになったものであろう。ある地方では、修繕することをハソンという。ハソンから連想されるのは「破損」だが、これも修繕という行為は破損があって初めて行われるものだとすれば、意味がずれていった一つの例と見ることが出来る。
8. 「週刊朝日」に、電車の「つり皮」は現在では皮ではなくてビニールを使っているから、これを「つり皮」と称するのは不当で、「つりビニール」と言うべきであろう、「枕木」は、近年は木ではなくてコンクリートを材料としているから、「枕コンクリート」と言うべきではないかという考えが掲載されていた。
9. このような考え方をすると、言葉はいくらでもおかしなものが出て来る。「駅」や「駐車」も、馬偏がついているのはおかしい。昔のように馬や馬車が走っているのではなく、「駅」は鉄道のステーションであり、「駐車禁止」などの「駐車」は自転車をとめておくことだからである。「赤い白墨」「黄色い白墨」もおかしな表現と言えるであろう。
10. 言葉の正しさを論ずる時にとかく語源が引き合いに出されるが、語源の通りでは社会情勢の変化のために会わなくなるものが多い。社会は複雑になり、人の心も単純ではなくなるから、語源の通りであることが正しいと言うことになると、今の現実の社会には合わないことになる。
11. そうかと言って、一々言葉を言いかえるのも大変なことだろう。「つり皮」が当たらないからと言って「つりビニール」にしたところで、もし今後ビニールが他の材料に変われば、また名称を変えなければならないだろう。
12. 「枕木」にしても同様である。現在、まだ木のものもあるから、「枕木」と「枕コンクリート」との二つを保存しなければならないし、将来材料が変われば、また「枕○○」という語を使わなければなるまい。ただ、こういう心理から、在来語を捨てて、外来語を使ったり、新しい漢語を作ってつかったりすることも事実である。「洗濯」は本来水を使うことである。近年のように揮発油を使ったりして清浄にするのを、「洗濯」で表現したのは適当ではないということで、「クリーニング」が行われてきた。「床屋」も「理髪店」になった。
13.結局言語は各人の言語意識によって動いて行くようである。そして、その言語意識を作り上げるのは、主としてその人の経験、教養、学校で受けた教育である。言語の正しさの規範意識もそこから生まれ出るようだ。

   講評   takeko


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