子供がやらなければならない勉強というものは主にふた種類に分類されていると思う。いわゆる学校でやる方の「お勉強」と言われるものと、そうではない、勉強は勉強でも「お勉強」とはいわれない種類「人間付き合い」を学ぶこと、の二種類に分かれる。学校の「お勉強」というものは九九や方程式、歴史、科学、英語、地理、などの受験に役立つ知識だ。そうではないほうの勉強は幼稚園などでの「おにごっこ」や「電車ごっこ」や「おままごと」や「うさぎと遊んでる」などを通して遊び、友達との人間関係などを知る、いわゆる、学ぶ、ということである。これらはどちらも両立することが大切だ。
確かに子供時代の遊びから得るものは多い。僕は子供のころ遊んでいた遊びは幾つもあった。電車ごっこや、ゴーカート、テレビ番組の逃走中を真似た遊び、子供の遊びの定番、ドッジボールやサッカーなどもやった。電車ごっこの中では、将来の夢の第一号が生まれた遊び。電車ごっこで運転士がやりたいがために一番に広場に出て行ってリアカーを5、6台並べて待って、遊んだ事だけは覚えている。僕らの電車ごっこはリアカーが客車だった。それからと言うものの電車で出かける時はホームの端っこまで行き、運転席の窓の後ろで背伸びをしていた。そこで前面展望を楽しんでいた。ドッジボールやサッカーではここから将来の夢が出てはいないが、一番スタンダードな遊びを通して遊んでいた。このようにいろいろな遊びを通して世の中の職業についても知ったし、ほかにもたくさんの友達を作り、関係も作った。
しかし、勉強しなければ身につかないものもある。例えば「鎌倉幕府が開いたのは1192年」ということ。数学の方程式。英語の文「The letter made him happy」の意味(その手紙は彼を嬉しくさせた)などいわゆる学校で教えてもらう、「お勉強」の知識だ。ディズニーの昔話、「3匹のこぶた」のこぶたたちも技術の勉強をして、数学で計算の仕方を習わないと立派な家はできない。「わらの家」や「木の家」、「レンガの家」を造ったこぶたたち。どう考えてもレンガの家は、正確に計算しないと崩壊する危険な家になる。ほかの壊された家のこぶたがレンガの家でのんびりと暮らしている。なので、このレンガの家は相当な技術によって造られていると推測。このような家ができたのもこのぶた達が勉強したからだ。
確かに、子供時代には、遊ぶことも勉強することもどちらも大切だ。(総合化)僕の好きな「名探偵コナン」のように幼児化する薬があればいいのだが、そのような薬は実際この世には存在しない。「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている。」という名言もある。もっとも大切なのは、子供のうちにしかできない事、つまり小規模のいたずらなどは子供のうちにしっかりやっておく事が大切だ。もしも僕が中学受験をしていなかったら、小学校のうちに「小学校でしかできないいろいろなこと」をしていただろう。