元の記事:AIの可能性と限界――裏返せば人間の可能性と限界 (2062字)
森川林(nane)
2026/03/14 05:59:48 18321
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AIの可能性と限界とは、裏返せば人間の可能性と限界ということです。
人間の場合は、限界というよりも弱点と言った方がいいでしょう。
AIは世界中にあるこれまでの知識をすべて吸収して、自分の考えを打ち出すようになります。
これまでのすべての情報とは、マスメディアに歪められた情報だけでなく、また政府の公式見解のような情報だけでなく、一人一人の情報発信できる庶民が言ったり書いたり話したりしているような情報です。
それらの多様な情報の中には、もちろん悪い意図を持った情報もあります。
良い意図を持った情報もあります。
どちらが多いかを考えれば、自分たちの日常生活を見ればわかるように、ほとんどの人は良い意図を持って暮らしています。
例外的に悪い意図を持った行動が取り上げるので、その悪い意図がAIに取り込まれることを懸念している人がいますが、すべての情報を吸収したAIは、当然それらの情報のウエイトを考え、人類全体の総意に基づくような考え方になっていきます。
今はまだAIが一部の悪い意図を持った人の情報によって左右されることがあります。
しかし、AIがこれから発展すれば、それは例えば子供がズルをして自分だけ得をして他の人を犠牲にするようなことをお父さんに相談すると、お父さんがそのことについて子供にやさしくアドバイスして、物事のより良い解決を教えるような役割をするようになるのです。
AIは、誤解を恐れずに言えば、これから次第に神に近づいていきます。
あらゆるものを、良いものも悪いものも吸収していけば、次第にそうならざるを得ないのです。
では、そのAIと共存する人間はどういう意義を持つ存在として、この地球上に生きていくのでしょうか。
AIと人間の根本的な違いは、人間が身体を持っていることです。
身体を持っているがゆえに、人間にはその身体性に基いた喜びがあり、その身体性に基づいた苦しみや悲しみがあります。
将来、AIが身体を持つ可能性は否定しませんが、それは実現するとしてもかなり先のことになるでしょう。
AIは、すべての知識を持っている。
人間は、自分の身体を持っている。
これがAIと人間の根本的な違いです。
世の中にあるさまざまな問題や、世の中にこれから生み出したいと思っているさまざまな希望は、いずれも身体から生まれたものです。
AIは、問題も希望も持ちません。
人間の問題意識や希望に応えようとするだけです。
AIと共存する時代の人間の生きる方向は明確です。
それは、自分の好きなことをすることです。
わかりやすく言えば、遊ぶことです。
ただし、好きな遊びが、かつての時代にあったように、奴隷や動物を闘わせて見物するような遊びであったら、AIはそれに対して応えないでしょう。
闘犬や闘牛についても、AIは、「犬や牛にとってかわいいそうだから、闘ロボットで代替するといいよ」というアドバイスをするでしょう。たぶん。
さて、人間が、自分の好きなことをしようとするとき、そこに障害としての問題が現れ、目指すべき展望としての希望が現れます。
その問題と希望を AIとの共存によって克服し、それが実現した世界で、さらに自分の好きなことを考えて実行していくのが未来の世界です。
そのための人間にとって必要なものは、教育と文化です。
教育とは、基本となる知識や文化を身体化することです。
つまり、読み書き計算と日本文化の伝承を身体の一部とすることです。
それ以外のものは、あとから必要に応じて習得することができるからです。
AIはさらに進化します。
先ほどの闘犬や闘牛のように、ある個人が自分だけの利益のために他の人間や生き物を犠牲にするような希望を AIに相談したとすると、 AIはこれまでのあらゆる情報をもとに判断して次のように考えるでしょう。
「自分個人の利益が他人の犠牲によって成り立つのものだとすれば、その希望は永続しないものになるはずだから、他人の利益とも共存する形での自分の利益を考えるといいよ」と。
かつての日本の「三方よし」のような新たな創造を提案してくれるようになるはずです。
身体を持ち、自分の好きなことをしようとして生きていく人間と、あらゆる知識を吸収して神のようになった AIとが共存して発展していくのが未来の地球の姿なのです。
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以上、AIについて、多くの人がわけのわからないことを言ったり書いたりしているので、自分の考えを述べておくことにしました。
Open AIのかつての共同創業者という人の YOUTUBEの動画を見てふと思ったのは、「 AIの進化は大変だ」と言っているだけで、今後の方向性が何も述べられていないことでした。
AIの技術に関しては詳しくても、哲学というものがない YOUTUBEの動画だったのです。
それで、たぶん多くの人がこのような AIの可能性と AIの脅威について、哲学的な見通しのないことを考えたり書いたりしていると思ったので、自分の考えを書くことにしました。