書いた人は中久喜 宣昭 on 12月 15, 1997 at 05:24:18:
コメント先: 教育は労働者という商品を育てるものか posted by 森川林 on 12月 12, 1997 at 06:32:24:
> あのう、そのへんまで考えていたわけではなく、ただ、「もっと営
>利を目的とした私企業の果たしている役割を学校で教えるべきだ」とい
>うことなのです。
ここでの役割というのは何を意味しているのでしょうか。
経済の仕組みを教えろということなのか。
森川さんのおっしゃろうとすることがうまくつかめません。
> ところで、教育とは、労働者という商品を育てるためのものだとい
>うのは、確かにそういう面からとらえることもできますが、この考えで
>全部をくくってしまうと一面的になる気がします。
自分もそれがすべてだとは思っていません。
ただ、そういう考え方があることは以下に書かれている通りであり、
それに如何に反論するかが興味ある所です。
> この前、どこかの塾の塾長が、「われわれは保護者から月謝をもら
>って、生徒という商品を売っている。労働者としての商品価値を高める
>ためには、いい学校に入れることが大切だ」とかなんとかいうことをど
>こかで書いていました。
> その気持ちはわかるけど、そういうふうに簡単に割り切って運営し
>ていると、何か教える先生や生徒の雰囲気が寒々としたものになる気が
>します。
たとえば、オブラートに包んで、君たち生徒が大切なんだ。と言ったとしますよね。
それでも根本にある考え方が利益を生み出すための企業運営であるならば、
寒々とした関係になりにくいかもしれませんが、駄目だと思うのです。