書いた人は森川林 on 12月 12, 1997 at 06:32:24:
コメント先: Re: 社会と学校の接点がもっとあれば posted by 中久喜 宣昭 on 12月 09, 1997 at 02:04:56:
> 教育の中の競争もこの文脈で理解できるのではと思います。競争を
>通じて実現するものは何か。それは他に負けない商品として取り引き
>される労働者としての自分なのでしょう。
> 労働者の主体性には限界がありますから、主体性を失っている方が
>良い労働者なのです。
あのう、そのへんまで考えていたわけではなく、ただ、「もっと営
利を目的とした私企業の果たしている役割を学校で教えるべきだ」とい
うことなのです。
ところで、教育とは、労働者という商品を育てるためのものだとい
うのは、確かにそういう面からとらえることもできますが、この考えで
全部をくくってしまうと一面的になる気がします。
この前、どこかの塾の塾長が、「われわれは保護者から月謝をもら
って、生徒という商品を売っている。労働者としての商品価値を高める
ためには、いい学校に入れることが大切だ」とかなんとかいうことをど
こかで書いていました。
その気持ちはわかるけど、そういうふうに簡単に割り切って運営し
ていると、何か教える先生や生徒の雰囲気が寒々としたものになる気が
します。
話がずれましたが。