書いた人は中久喜 宣昭 on 12月 09, 1997 at 02:04:56:
コメント先: 社会と学校の接点がもっとあれば posted by 森川林 on 10月 02, 1997 at 22:31:31:
: 私はいつも疑問に思っているのですが、今の社会は
: 互いに利益のあるものを取り引きし合うという関係で
: 成り立っているのですから、営利の大切さというもの
: を子供たちがもっと実感として学ぶ機会があるといい
: と思います。
一言付け加えさせていただきますね。
利益の言葉を使われていますが、取り引きされているのは
ものなのですが、そのものの交換を目的として作り出された価値
が森川さんが言われる利益なのです。
そして、自分の考えでは交換を目的として価値を作り出そうとする
ところが、それ以外の交換を目的としない価値創造を排斥していって
いるのが現在の状況だと思います。
交換を目的としない価値創造とは、家庭での家事であり、手作りの
プレゼントとかです。
教育の中の競争もこの文脈で理解できるのではと思います。競争を
通じて実現するものは何か。それは他に負けない商品として取り引き
される労働者としての自分なのでしょう。
労働者の主体性には限界がありますから、主体性を失っている方が
良い労働者なのです。
: 何か話がちょっとずれたかもしれませんが、勉強を
: することが人に利益を与えることにつながり、それが
: 自分の利益になるということを理解すれば、勉強の位
: 置づけももっとはっきりしてくるように思います。
こうなるためには、そういう経験をする機会がいりますよね。
そういう機会を作る努力が多ければ多いほど、その社会に
育つ人間はお互いに良いものを与え合うようになると思います。
: そうでないと、学校の勉強は、したくもない点数競争
: を無理矢理させられる場所のように子供たちには、思わ
: れてくると思います。
私見では、試験による評価が問題だと思います。