元の記事:五井昌久さんの「世界人類が平和でありますように」という言葉 (874字)
森川林(nane)
2024/01/21 12:20:58 15678 5 五井昌久さんの「世界人類が平和でありますように」がどうしてできたのかわかった。
「霊性の開発」という本に、次のようなことが書かれていた。
(自分の理解した言葉で)
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人間には、誰でも、悩みや苦しみや痛みや怒りがある。
それらを否定するでも、肯定するでもなく、それをありのままに仏様に投げ出す言葉として、南無阿弥陀仏という言葉を、法然や親鸞が考えた。
その南無阿弥陀仏を、現代の言葉として表すために、『世界人類が平和でありますように』という言葉に作った。
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なるほど、納得。
五井さんの生きた時代は、戦争の時代だったから、平和という言葉が最も感覚んに合っていたのだろう。
太平洋戦争で、日本の兵士たちが、玉砕を覚悟して全員がほとんど武器らしい武器も持たず、敵陣に突入したときに全員が唱えた言葉が、南無阿弥陀仏だったと、確か鈴木大拙氏が書いていた。
また、もっと昔の話だが、仏教に帰依している武士が、「自分はたとえ敵であっても殺したくない。しかし、敵は切らなければならない。それをどうしたらいいか」と尋ねたときの僧の言葉が、「南無阿弥陀仏と言って切るのじゃ」ということだった。
これは、生死や善悪を超えた日本の倫理観だと思う。
人は、誰でも葛藤の中で生きている。
その葛藤を、否定するでも、肯定するでもなく、葛藤のままに生き続けることが人間の生き方だ。
話は変わって、塩谷信男さんの言ったことは、こうだった。
「宇宙の無限の力が凝(こ)り凝って真(まこと)の大和(だいわ)のみ世(よ)が生り成った」
大和のみ世とは、人間ばかりでなく、すべての生き物が平和で幸福に暮らす世の中のことだから、スケールが大きい。
それを、過去完了形で述べることで、そういう世界を実現させようと考えたのだ。
これを、現代に合った言葉にしてみると、「すべての人が幸せになった」になると思った。
世の中にあるさまざまな矛盾を、「すべての人が幸せになった」という言葉によって、より大きなものの委ねること、これが、真の幸福の途上にいる人間のできる最初のことではないかと思う。