元の記事:「どこの中学に入ろう」とか (544字)
森川林(nane)
2024/01/27 15:22:52 15720 3 「どこの中学に入ろう」とか、「どこの高校に入ろう」とか、「どこの大学に入ろう」とか、「どこの企業に入ろう」とかいうのは、もう古い。
また、サッカー、バスケットボール、野球、ダンス、音楽、スポーツなどの勝ち負けも、もう古い。
それらは、既存の社会秩序の中で階層化された狭い道で、人より先に進むことを競い合う世界だ。
最初は、わかりやすい競争の目標でもいい。
さかなクンも、最初に自信を持ったのは、魚のクイズで優勝してからだったと思う。
だから、競争に勝つことは、自信をつける。
だが、競争に勝つことは目的にはならない。
それは、たえずあとから参入してくる新しいライバルとの不断の競争を続けることだからだ。
競争が、今のように世の中全体の関心になったのは、競争の勝敗が金銭に結びついていたからだ。
だが、やがてベーシックインカムの時代には、金銭は、二次的な目標になる。
真の目標は、自分の個性と創造性を生かすことになる。
これまでの社会は、勝ったものが、勝った度合いに応じて幸福になった。
これからの社会は、創造したものが、創造の度合いに応じて幸福になるから、誰もが幸福になる。
そういう社会を予想するとき、今、大事なことは、自分の個性を生かし、その個性をより生かすために学問をすることだ。