「損得を先に考える者は腰抜けである」(葉隠)
聖徳太子がいた時代に、隋は世界でした。
フビライが日本に使者を送ったとき、モンゴルは世界でした。
ロシアが南下しようとしてきたとき、白人の国家が世界でした。
屈従していれば、そのままの世界が続いたのです。
世界が先にあって自分があるのではなく、自分が先にあって世界があります。
これは、単に大きな政治の世界の話なのではありません。
人間の基本的な生き方の話です。
他人にどう思われるかということよりも、自分がどのように生きたいかが先にあり、そのあと、他人と共存するための調整や工夫が生まれてきます。
子供の教育も同じです。
どういう子に育ってほしいかを考えるときに、今の世界でどの職業に人気があるのかを基準にするのではなく、その子にとって何を伸ばすことが将来の充実した人生につながるかを考えるのです。
世界や他人を基準にするのであれば、何も迷いはありません。
それは、ペットが主人を基準にして迷わずに暮らしているのと同じです。
迷う自由があるのが、自分の力で生きる野生の生物なのです。
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