国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日2356 今日616 合計9970
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   「個人」として   ひろりん

 アメリカにユージーンという町がある。ユージーンは見知らぬ人でもあいさつをかわし、街の中に障害者がいることで人の流れが変わらない街だった。つまり障害者を「一人の人」としてあつかうのだ。また、サトクリフという作家が書いた自伝では、著者は病気であるけなかった青春時代に恋をしたが、傷つくのをおそれて「恋」を「恋」として直視するのを回避してしまったという。しかし、のちにサトクリフは「たとえ結果は同じでも自分で苦境に直面したかった」と言っている。たとえ障害があってもその人は個人であり、傷つけられる権利や経験を積み重ねていく権利はあるのだ。
 私はこの筆者の話を読んだとき、まっさきに乙武洋匡さんのことがうかんだ。乙武洋匡さんは両手両足がなく、「五体不満足」と言う本を書いた人である。私は前にテレビに出ていた乙武さんを見たのだが、明るく笑顔を絶やさない人だった。立場的にはまだ両手両足があるサトクリフよりもつらい。それなのになぜこんなに明るくいられるのか。それは筆者の言う「傷つけられる権利」「経験を積み重ねていく権利」を乙武さんが経験してきたからだと私は思う。私は「五体不満足」を少ししか読んでいないのだが、乙武さんは子供のころ普通の学校に通いみんなと変わらない生活を送ったらしい。またその友達も乙武さんを変わらぬ態度で接して、遠足の山登りもクラスのみんなと一緒に登ったという。つまり自分で「苦境」に直面していたのだ。自分でそれを乗り越え、新たなことにチャレンジする。それが笑顔のもとだったのだ。
 障害者を助けることは確かに大事だ。障害者だけではできないこともあるし、時として人の助けは必要である。しかし、障害者がなにもできないわけではない。人の助けは絶対必ず必要というわけではなくてやれることは自分でやりたいというのが障害者の考えではないだろうか。例えばちょっとした坂道を、普段は人に押してもらっているけど自分で登ってみたくなるかもしれない。大切なのは「なになにをしてみたい」という要望をちゃんと聞いて、障害者を「個人」と認めることである。

   講評   yuka

夏休み、元気に過ごしているかなー?
私は、パソコンが壊れかけていて、なんだか今も「いつ壊れる?」と不安な状態でパソコンに向かっています…
暑いから、夏バテしないよう、気をつけてね。

障害者と健常者、そして社会がどのように関わってゆくべきか、を今回は論じてもらったわけですが…。

まず、乙武くんというテレビや書籍でメッセージを送りつづける人物を具体的に取り上げている点、大変良いです。

彼を見た感想を通して、ひろこちゃんが実際にどのような接し方をしてゆくべきなのかを非常に明確に、そしてより具体的に論じています。

どうしても、身近(例えば友人や家族など)に障害者の人がいないと、自分自身が健常者である場合、その接し方など意識する場面というのは少ないよね。
そういった現代社会の中で、乙武さんがメディアに登場した功績というものはとても大きいと思います。必要以上の意識をする必要はないのだ、ということを実感できた人も多いのでは。

むやみに同情せず、むやみに共感せず、人間として相手を尊重することが本来の当然の人間関係のあり方なのだ、という主張が、作文全体から強く伝わってきました。

とても良くかけました!


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)