創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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人から得る情報 日本太郎
子供のころに、道に迷わなかったのは、どうしてでしょうか。逆説のようになりますが、むしろそれは地図を使わなかったからではないでしょうか。子供にとって道というのは、親や友だちに連れられて覚えるもので、何回か歩いているうちに自然と身につくものです。そうして覚えた道では、迷うなどということがなく、自分の体の一部になっていたような気さえします。
動物なら、無意識のうちにせよ、時間をかけて身につけていく地理的な情報を、人間は数百円と引き換えに手に入れることができるのです。それだけで、どこへでも移動が可能になるわけですが、しかしまた、行動の可能性が増えるということは、それだけ道に迷う可能性にもつながってくるとも言えるでしょう。 こうした、人間の作り出した情報は、行動の助けになるものであると同時に、反面、使い方がきちんと身についていない限り、逆の結果につながる危険すらあるのです。
このように書いてはあるが、僕は、他人から情報を受け取るということはとても重要であると思った。今ではそれがなければちょっと出かけてもすぐに道に迷ってしまったりするのでどこにも行けない。あるいは面倒になって行きたくなくなる。こういう場合は、他人からの情報やガイドブックの情報をもらう方がずっと楽である。例えば、旅行等に出かけたとき正しい道を歩いていても、間違っているのではないかと心配になることがある。そういうときに、ガイドブックがあれば、安心できる。
しかし、自分が本能的に覚えている道では、全くそう言った事がない。例えば、自分の近所(近所ではない(笑))のスーパー(といっても店のどこにもスーパーな所はない。ただ品揃えが悪いだけである。(爆))までの道だ。目を閉じていても簡単についてしまいそうなくらい本能的に覚えている。
やはり、人から得た地理的な情報は、今では不可欠だが、何となく確信がなく、落ち着けない。店が移転していないだろうか、本当にこの道で合っているのだろうかと。そしてあまり身につかない。しかし、自分がスーパーまでの道のように本能的に覚えた道は、合っていると言う確信はもちろんある。
人から得る情報は不可欠だが、自分が得た情報は、自分だけのものである。
講評 sato
なぜ、まったく道に迷わない人と、よく迷う人がいるのかが、なんとなくこの課題文を読んでわかったような気がします。でも地図やガイドブックは人間の知恵でもあり、ブレーキでもあるかもしれませんね。
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