国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   地球交響曲(ガイアシンフォニー)   クラシック

文明や行きすぎた科学が愚かであるとは思わない。動物や虫や草木が地球の意思だと言うのならば、人間もまた地球の意思であるからだ。たとえ人間が地球のガン細胞だとしても、それは地球にとって致命傷になりえないのである。
「たとえいくらボロボロにされても、何千何億の月日をかけて、地球は元に戻ることができる。
たった数千年しか生きていない人間に地球の命運をどうこうできるはずがない。むしろ、地球がボロボロになったとき、一番初めに滅びるのは人間のほうだ」
10年ほど前、学習マンガで読んだ言葉だ。その言葉は、幼い少年だったクラシックの心にとてつもない衝撃を与えたのだ。たとえ有名な学者や思想家が言った言葉でなくとも、それは名言と呼ばれるに値する価値を持っているに違いない。難しい表現で塗り固められた言葉はあっても、純粋な子供にショックを与える言葉というのはそうそうないのだから。
 とある映画監督は、地球交響曲(ガイアシンフォニー)と言う映画を撮る参考のために、自らフィンランド北部、ラップランドの森を歩いたらしい。
 森は決して住みやすいところではない。森に入った人間を一番はじめに迎えるのは、おびただしい数の薮蚊なのだ。故に、森に入るとき長ズボン、長袖、虫除け帽子は必須である。だが、それをするものには、地球の奏でる交響曲(シンフォニー)を奏でることは愚か、観客席に入ることもできないという。地球と対話するためには、ほんの少しでもありのままでなければいけないのだ。
 現在、人は快適さだけを追求し、自然と対話することを忘れてしまっている。
 はたして本当にこのような生き方でいいのだろうか? この生き方も一つの方法ではあると思うが、やはり地球の生物ならば、地球と対話し、親身に話し合ったり笑いあったりできるようになってもらいたい。
 が、実際できるかと考えると閉口してしまう。人、いや、それに限らず数多くの生物たちは、味を占めるという欲望を持っている。おいしいものを食べた後、少ししてまたそれが食べたくなるといったあれである。無論、それは食べ物だけに限らない。クーラーの味を知ってしまったらもう扇風機で我慢するなど考えられないだろうし、数学の味を知ってしまったら、算数などやる気さえ起きないはずだ。
 それと同じく、現在の発達した文明に味を占めた人間が、自然とともに生きるなどということが、はたしてできるのだろうか? 僕は、なんとか共存できる方法がなかろうかと必死に考えてみた。結果、残念ながら共に生きるということは不可能という考えにいたってしまった。
 だが、たとえ共に生きることはできなくとも、うまく付き合うことならば可能なのだ。高度に発達した科学は魔法と同じである、と、SF作家、アーサー・C・クラークは言った。
 高度に発達した科学(魔法)は、自然を破壊するだけでなく、バックアップをしてやることが可能なのだ。形は違えど、人は他の生物と同じように地球を思い、大切にすることができるのである。

   講評   jun


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