低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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私は二十年ほど前から(感) ITI
私は二十年前ほど前から(感)
私は二十年ほど前から人間は自らを自らで飼育し、家畜化—自己家畜化していると述べ続けている。まず人間は、人間自身を飼育しているのではないか。女房に亭主が飼育されているなどの、たとえに使われるのと同じように感じられるかもしれないがまったく違う。
ヒトを生物の一種とみなした場合、個人レベルではなく、人間自身が作った社会システムに依存しているに過ぎない。そしてヒトは社会システムに参加することによって、社会的に食物を供給されている。社会的に飼育されているとも言える。社会システムにせよ、食糧生産の仕組みもまた、人間が作っているので、自己飼育・自己馴化である。僕もたまには自由気ままな生活が当てもいいと思う
第一の理由に学校がある。学校を否定しているのではないが、全くと言って良いほどルール縛られている場所である。自由なのは自由時間の時間だけ、それでもってびっしりとしたスケジュールが時間割に・・・。時間がきちっと分けられ、みな同じように生活していく、その中に果たして、“自由”はあるのだろうか?残念ながら、僕はそうは思わない
第二の理由に今では、真の“自由”がないと言うところがある。今は、自由と言っても娯楽などで、自由気ままに生きよう!(笑)というのがなさ過ぎると思う。田舎なんかに行けば、もう、自由そのままに生活できると僕は思う。
ルールそのままに、キチンと生きて行けば良いじゃないか!とも言えるかもしれないが「怠け者である事を批判するよりも、人間とはもともとそうしたものだというところから出発するべきだ」という名言があるように、“自由気ままに生きる”ことそれこそが、生物のヒトとしての人間らしい真の生き方だと思う。学校に“夏休み”があるように、生活のなかにも“夏休み”を入れて行けば良いのじゃないか。少なくとも、僕はそう思った。
講評 yuta
「たまには自由気ままな生活があってもいい」先生もそう思います。時間に追われる生活が続くと「私に自由をちょうだいっ!」と、何もかも投げ出したくなります。でも『たまには』というのが重要。いつも自由だったら、今度はその生活から逃れたくなってしまうことでしょう。自由すぎるのも辛いものです。
今回の要約は、文章を工夫してつなげて上手くまとめたね。
ただ、要約部分の長さからすると、第二段落・第三段落が短いね。読み手が想像できるような具体例を挙げましょう。
最後の段落はとてもいいね。反対意見に対してうまい名言で切り返し、“自由気ままに生きる”というはじめの意見に戻って結ぶことができました。「生活の中にも夏休みを」・・そうですね。そんな風に考えて時にはのんびりしましょう。
◆「僕もたまには」→前に同じ意見が出ていないから「僕も」ではなく「僕は、」
◆「生活が当ても」→「あっても」
「真の“自由”がないと言う」→「いう」
「“夏休み”を入れて行けば良い」→「いけば」
字数も項目もクリア!おめでとう!!
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