国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   人間と自由   シュシュ

 私は二十年ほど前から人間は自らを飼育し家畜化、自己家畜化していると述べつづけている。ヒトを生物の一種とみなした場合、個人レベルではなく人間自身がつくった社会システムに依存して暮らしている点からである。
 私は人間は自由に生きるべきだと思う。その理由は二つある。
 1つ目の理由は規則に縛られ他まま生きているとそれに慣れて自分で考えるということをしなくなってしまうからだ。その例はたくさんある。たとえばほとんどの学校に校則があるだろう。しかしその校則について何人の生徒がじっくりと考えたことがあるだろうか。ほとんどの人は(私も含めて(笑))じっくりと考えたことがないと思う。一応、生徒手帳に校則は書いてあるが入学式のときにぱらぱらと読む(見る?)くらいで、すべてを読んだという人は多くないだろう。そんなに自分が知らないものなのにだいたいの校則をだいたいの生徒はまもっている。はじめから「こういうものなんだ」と思って校則を当たり前と受け入れているのだろう。校則だけではない。公共の場でのルールや一般に常識と思われているもの、憲法などだってそれと同じだ。自分に関係のあることなのだからただ当たり前と思わないで自分で考えるということをするべきだ。
 2つ目の理由は自分だけの個性というものがなくなってしまうからだ。みんなが同じ規則を何も考えないでただまもっているだけだったらだんだん自分だけにあるものという個性が薄くなってしまうだろう。ただシステムどおりにいきている機械人間にみんながなったら楽しいことは何もない。
生きている意味がなくなってしまうだろう。
 しかし今すべての規則がなくなって規則に対する意識もなくなったらどうなるだろうか。原始人に逆戻りしてしまうかもしれない。なにごとにもほどよいところというものがあるのだ。「わるいことそのものがあるのではない。時と場合によって悪いことがあるのである。」という名言がある。規則もそれじたいが悪いものではない。規則に対する意識や使い方や考え方、場合によって良くも悪くもなる。しかし、ただうけいれたりただ無視したりするのでなく自分で考えて見極めることが大切だ。しかしときにはおもいっきり自由になって人間らしさを確認するべきだ。人間なのだから人間らしく自分らしく自由をうまく利用できたらよいと思う。

   講評   jun

 人間は自由に生きるべきという意見で二つの理由を考えることができたね。社会の枠にはまって、同じような毎日を繰り返すことに慣れていしまうと、その決まりきった生活に対して何の疑問も持たなくなってしまいます。校則の話は身近なところからよく思いついたね。これと似たようなことは、社会のあちらこちらであるはず。自分があたりまえだと思っていることに対してももう一度考えてみる姿勢は大切ですね。また、時間や規則、社会の通例にしたがって機械のように生きていてはなかなか個性を発揮することはできません。自分らしさというものを大切にしたいですね。
 結びは、反対意見への理解をたっぷりと示しながらも本当に大切なことは何かについて考え、書き出しの意見に戻ってまとめることができました。

☆字数も十分。キーワードもすべて入って、テストは合格です。おめでとう!

                        

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