国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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何ごとぞ花見る人の長刀 いてほ
何ごとぞ花見る人の長刀
橘 宏一郎
桜の花は、日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核に置かれていたが、現在の花見はついにそこまで至っていない。花見とならんで月見と雪見————この三つが日本人の自然鑑賞の基本になっているが、月・雪・花、そのいずれもがうつろいやすいものという共通点がある。それを惜しむ心が、時候に合わした会合の珍しさを貴ぶのだ。日本人とは見るということに重要な意味を与える。西洋のようにしゃべることが基本な場ではなしが途切れると、気まずい思いをするが日本では黙ってみていても会話は進行しうるのである。花見は最も庶民的なマス・レジャーであるのも故なしとしない。
僕は日本のようなコミュニケーションのとり方が良いと思う。
第一の理由はそちらのコミュニケーションのほうがユニークである。話すことに重点をおかずに、幅広くなる。。日本のようなコミュニケーションは今世界で使われていると思う。まず、食事だ。話しているばかりでは食事は進まないから、喋りながら食べると、楽しい食事になる。西洋の国々が、何も話さずに食事を食べるとは考えられない。だから、アメリカのレストランは結構にぎやかだ。しかしそれが災いし、うるさすぎて、こちらが良く話が出来ないくらいなときもある(笑)。
第二の理由は時間が有効になるからこちらのほうが良いと思った。例えば、何も話さない食事が終わり、次は話の時間という風に生活していたら時間がなくなってしまう。ゆっくり出来る時間がなくなり、毎日予定がぎっしりと詰まっている生活になってしまう。友達の家など楽しむところにに行く時間もなくなってしまうかもしれない。つまり時間があまりにも、足りなくなり決まりきった生活になってしまう。
しかし芝居などで芝居に専念したい人と話したい人で話したい人がしょっちゅう芝居に専念したい人に話しかけていたら芝居に専念したい人はいやになってしまう。だから、西洋のように一つのことに集中することも良いことだと思う。「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる」という名言があるように花見・雪見・月見はこの日本のコミュニケーションは長年の歴史から出来たものだと思う。
講評 jun
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