創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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何ごとぞ花見る人の長刀 勘吉
桜の花は、日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核に置かれたが、現実の花見はついにそこまで至っていない。花見とならんで、雪見と雪見——この三つが日本人の自然観賞の基本となっているが、月・雪・花、そのいずれもがうつろいやすいものという共通点がある。月はいつも満月ではありえないし、雪はいつかとけて消え去る。花の生命は短い。満開だと思っていたら、一夜の雨風ですぐ散ってしまう。そうだからこそ、うつろいやすいものを惜しむ心が時候に合わした会合の珍しさを貴ぶのだ。
はっきり言って、この課題文は、わたしにとって非常に難しかった。だから、多分わたしがこれから述べることが作者の考えと違うかもしれない。
まず、作者が何を言いたいのか考えてみた。作者は、花見・雪見・月見、のように外国にはない日本独特の文化について語っている。わたしは日本に三年しか住んでいなかったので花見などは、1回もしたことがない。だから、そのことについては深く分からない。ただ、ここで生活している中で印象的なことがあったのでそのことについて語りたい。以前、現地の人に誘われてコンサートに行った時のことだ。会場に入った瞬間、たくさんの黒人の人達を初めて目にして多少不安になった。そんなことを感じながらいすに座った。コンサートが始まった。日本でいうコンサートとは、手をたたいたりすることだが、ここでのコンサートは、会場全体が一つになってみんなで歌を歌う楽しさを分かち合っているという場面を見たわたしは、そのパワーに驚いた。さらに、コンサート終了後も会場を出るまで全ての観客が歌を歌い、ステップをふみ続けていた。この、光景を見たわたしは、思わず「驚き桃の木山椒の木」のようになってしまった。
花見・雪見・月見、よく考えてみると共通していることがあるそれは、自分の目を通してみるということだ。わたしは、自分の目で見ていろいろなことを感じた。歌を歌う楽しさ、歌の大切さいろいろなことを感じさせてくれた。現在、この世の中にいる人間の中で自分の目を通して感じるという人間は、ほとんどいないと思う。自分の目を通して見ることは、誰でも出来る。しかし、感じることは、ほとんどできない。それは、感じようとしないからだ。どういうことかというと、人間は、初めて目にするものは興味をもって見るが、二回目に見る時はもうその姿をていねいに見ることはしなくなるということだ。今度、花見などを見る時はもっと別の見方で見たら、今までにない新しい世界がどんどん広がっていくと思う。
講評 yue
勘吉くん、こんにちは。今回の感想文の課題文は、大人の私が読んでも難しい内容でした。でも、勘吉くんはあきらめずに内容を理解しようとがんばりましたね。その姿勢が、文章からひしひしと伝わってきます。お疲れさまでした!
☆「作者は、花見・雪見・月見、のように外国にはない日本独特の文化について語っている」→その通りですね。ここまでは、とてもよく理解できています。そこから発展して、作者が「日本の社交の基本は「見る」ことで成立する」といっていることに注目してみましょう。課題文の中の、「そして、二人でじっと空を見上げるだけで〜、会話は進行しうるのだ。」という段落だけを、じっくりと読んで考えてみるとよいと思います。少しわかりづらいかとも思いますが、もし、「これはこういうことかな?」と疑問に思うところがあれば、私に直接メールして質問してくださいね。一緒にこの文章について考えられることを、私も楽しみにしています。
☆後半部分、自分自身の経験・体験をもとに意見をまとめているのは、いつも思うことですが、とてもすばらしい文章になってます。この考え方は、ぜひ、清書でも生かしていきたいと思うので、作文の真ん中の部分だけ、手を加えていきましょう。今でも字数は十分ですが、きっと作文というより、「論文」と呼びたくなるようなすばらしい文章ができあがると思います。この課題文には、これからもう少し時間をかけて取り組んでみましょう。一緒にがんばりましょうね!
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