低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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共存 太公望
南アフリカで行なわれた地球環境サミットでは、環境保護に真剣に取り組む姿勢が見られないアメリカに非難が続出したが、環境保護が重要な事項とはいえ特定の場面において人間の存在を無視した環境保護の行き過ぎがある。これまで人間社会に置ける目覚しい発展は、われわれの生活を豊かにした。人間として人間らしい生活ができるようになった(途上国を除く)。しかし、その代償は大きく様々なほかの生物を絶滅に追いやり地球環境を悪化させてきた。環境保護はやらなければならない。しかし、ここで問題なのは人間の存在を悲観的に見る人たちによる過度な環境保護の運動である。
私たちは人間である以上を人間としてすべきことをしなければならない。いかに自然と共存できるかを考えるべきである。またどうしたら環境を破壊せずに生活できるかである。まだまだ発展途上国では、焼き畑農業などの自然を破壊しながらの生活である。しかし、これは生きるために仕方なくやっていることである。そのような人たちを先進国は助けなければならない。私たちは、どこかで地球は人間のための星と思ってはいないだろうか。地球は人間だけの星ではないと再認識し保護を強調するより共存を強調して生活を考えるべきだ。
例えば、過度の環境保護を叫ぶ人は鯨を食べるべきではないとして捕鯨禁止を求め鯨の保護を求めた。その結果鯨は逆に増えすぎ鯨のえさとなる魚の数が激減しているということだ。このような人たちは物事のバランスが見えていない。そして人間も他の生き物と同じように地球に生きるものである。彼らの考え方は、まるで自分達が神であるかのようである。環境保護というよりも自分の都合のいいように変えているに過ぎない。まずは、その部分の考え方を改めるべきである。
確かに、環境保護は大事である。失われたものは余りにも大きい。そして人間の行なってきた行動が逆に自分達を苦しめている。環境を保護しなければ地球は滅びるかもしれない。しかし、偏った保護は逆に地球環境の元のバランスを崩しかえって生態系バランスの崩壊を起こし、地球環境に悪影響を起こしかねない。私たちは、突っ込んだものの見方を余りせずいつも全体像を掴んだ見方をすべきであり、行動をすべきである。環境保護という言葉にあまり敏感になるべきではなくバランスを意識した共存を求めるべきだ。
講評 jun
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