国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   環境問題への姿勢   UZI.SMG

 環境問題について、最近一番頭に来たのは捕鯨会議である。鯨の数が少ないらしいということで、日本の捕鯨は一方的に制限されている。しかし日本には鯨を伝統的に食してきた人達がいるわけで、言ってみれば捕鯨は文化である。そういう人達が絶滅に追い込むまで鯨を取り過ぎることはありえないし、逆に最近では鯨の数が増えすぎているとの指摘があるほどだ。そもそも規制緩和反対の先鋒であるアメリカ人達などは、昔捕鯨のために日本を開国させたような一面があるわけで、そういう立場から捕鯨禁止を言い張られても頭に来る。「鯨の取りすぎとお前達に言われたくない」と。このような理不尽な話が環境保護として正当化されてしまうのには反発がある。環境保護とは一体何なのか。私は、それは要するに「人工的には生み出せないが、人間が生活する上であるべきもの、あった方がいいと思えるもの」を人為的に保存しておくということだろうと思う。だから保護対象は当事者の好みによって判断されるという要素は否めない。その判断基準は「地球のため」ではありえず、あくまでもそこに住む人間が基準である。
 ではなぜ環境保護がそれほど取り違えられるのだろうか。それは多分、テレビで豊かな自然、動物の可愛らしい一面、人間が残酷に木をなぎ倒したり動物を狩猟したりする一面を見るからだろう。一方で自分は裕福で安全な自宅でくつろいでいるのだから、自然の厳しさなどわからない。それでなんとなく「自然」を守るべきだろうと思ってしまう。それははなはだ情報不足だし、むしろそういう環境問題はその人の扱うべき情報ではない。また、その人は環境と人間のあり方を考えていない。自然は必ずしも人間の住む環境ではないし、むしろ人間が自然を切り取って適する環境に作り変えることで今の生活が保障されている。自分も含め、まさにその環境の中で生きている都会人が、こういう当たり前のことを理解できないのは当然だろう。しかし何も考えずに自然保護を訴える図々しさを少しは自覚してもいいのではないか。だからとりあえず各人が、人間が生きる環境とは何かを考え、自分と直接関係のない環境問題には口をはさまないように慎むべきだ。
 また、個人レベルではなく社会的にも問題点はある。例えばアフリカの奥地で起こっているような、言ってみればどうでもいいところの自然林伐採などを取り上げて、自然保護を語るマスコミはおかしい。木々がなぎ倒され、動物が追い立てられるのを見れば誰だって反発を覚えるが、その心を煽ってどうするのだ。無意味だ。極端な話豚や牛の屠殺場を報道して、もう肉を食べるのはやめましょうといっているのと同じで、全くおかしな話だ。また、世間では慈善団体のように見られている環境・動物保護団体というのも一部におかしいのがいる。中国で猫や犬を食べるのが非人道的だとか言って騒ぎ立てたりする。そういう団体を見ると、ウルトラマン(別に何でもいいけど)ごっこをしている幼児みたいに、ただ正義を振り回したいだけのエゴに見える。初めからそれがお目当てで成り立っているのかもしれないが、そういう輩を社会的に認めたり取り上げたりする姿勢が悪いと思う。ニュースの解説者などが一言、「こういうバカは放っておきましょう」くらいのことを言わなくては駄目だ。こうした姿勢は何も環境問題に限らないだろうが、とにかく見直すべきだ。
 これからの環境問題への取り組む姿勢というのは、やはりその地域の個別具体性を最重視して行うべきだと言いたい。ダイオキシンだとか大気汚染、水質汚濁、自然林伐採といった問題は、やはりその土地に住む人達がどう思っているのかを優先しなければならないだろう。そしてその意見に沿って行われた処置について、関係ない部外者が文句を言う資格はないのだ。ただやはり難しいのは広範囲にわたる環境問題だ。例えば温暖化、大気汚染といった問題は国境を越える。そこで考えることは、後進国への規制ではなく、先進国の進んだ技術を無償提供することではないだろうか。何に使われているのかわからないようなODAではなく、燃費のいいエンジンの技術提供だとか、汚染物質を軽減するためのシステムなどを導入してやる、ということをすべきだと思う。そういう出費は、無駄にはならない。木を切るな、CO2を出すな、を強いるのではなく、もっと先進国らしい態度をとるべきだと思う。環境問題への取り組みは、まだまだ遅れている。その分やりがいがあるともいえるし、取り組んだ結果は心地よいものとなるだろう。

   講評   nane

 これは、いい内容。「頭に来る」は小論文の語彙ではないけど(笑)、言っていることはよくわかる。
 確かに、捕鯨問題などに見られるように、環境問題は感情的に論じられることが多い。自分の立場を基準にして、クジラを食べるのは野蛮だとか犬を食べるのはかわいそうだなどといくら言っても建設的な話にはならないだろうからね。
 その原因として、テレビなどのメディアの影響を考えた点は鋭い。ビジュアルな映像の力と言うのは大きいからね。それがものごとを正しく表わすことに役立つ場合はいいけど、感情を煽るように使われることもまた多いからね。
 対策の、地域の個別具体性を重視してということと、先進国は進んだ技術の無償提供をということは、現実的で創造的な提案だね。環境問題は、社会や政治の問題として考えられることが多いけど、本当の解決は科学技術の方からやってくる可能性が高い。「進んだ技術の……」という考えは、これからも対策を考えるときに使っていこう。
 「ウルトラマンごっこをしている幼児」のたとえは、おもしろい。堅いテーマのときも、ところどころにこういう表現を入れていくのはいいことだよ。このへんも持ち味だね。

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