創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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勝負の意義 ペライア
10月2日に体育祭があった。クラス別五組になって戦うのである。私は黒組みである。体育祭といってもテンションがとても低く、応援せずにキャッチボールをしている人も多い。むろん、私もそのうちの一人である(テニスボールを3個没収された)。結果は何と二年連続の最下位。負けず嫌いの私にはとてもショックな出来事であった。さてここで、スポーツについて少し考えてみたいと思う。スポーツについての考え方は大きく分けて2通りある。まず1つは、スポーツというものは絶対に勝たなくてはいけないものである、と言う考え方である。そしてもう1つは、勝ち負けに関わらず、酸化することに意義があるというものである。
まず、スポーツにおいては、勝たなければ意味がないという考え方である。そして、絶対勝ちたいと思うのならば一生懸命戦うだろう。実際私はこの考え方に匹敵する。だからこそ、最下位というものは嫌なのである。まあ、私もやる気がなかったので最下位になってもしかたがないが・・(笑)。「ライオンは、一匹のウサギを倒すためにも全力を尽くす」という名言がある。この中で、ライオンは自分たち、ウサギは相手と考えると、努力なしには優勝ならずということが分かってくる。とにかく、この考え方では試合に勝ってこそ、快感を味わうことが出来るということである。
では、スポーツは出ることに意義があるという事はどうなのか。これは、よくテレビで話題になる身体の不自由な人の交流試合などで言えそうである。この場合は勝ち負けに関係なく、身体を動かすことに意義がある、つまり素のスポーツに参加することに意義があるのである。また、何かのコンクールにおいても同じことが言える。舞台の上に上がってなにかをすることだけであっても、緊張になれるなど参加することに意義があると言う場合もあるのだ。しかし、だからといって、勝ち負けを気にしないで、やる気を抜いて試合をしてはいけないと思う。
試合には絶対に勝つ必要があると言う考え方や、勝てなくても出ること自体に意義があると言う考え方がある。また、試合に出るのであれば全力を尽くさなければいけない。だから、勝ち負けも大切だが、もっと大切なのは進歩をするということである。つまり、わたしの体育祭での行為を真似してはいけないということである。真似してしまうと最下位になってしまうからである。とにかく、自己ベストを目指せば結果はついてくると思う。
講評 kira
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