国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日2426 今日317 合計52653
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   自由への第一歩   ひろりん

 筆者の述べる「他人依存症であり、集団依存症であり、状況に支配される」という傾向は、最近の中学生(私たち)にもそれがよく見られる。例えば、いくつかの選択肢があるとする。普通なら自分で考え、自分に合うほうや自分が好きなほうを選んだりする。しかし、最近の中学生はそうではない。常に友達と同じ方を選びたがり、常に友達とあわせようとする。そのため、友達の選んだ方を聞いてから自分の選ぶ方を決めるのだ。それは自分の意見も何もない。なぜそんなことをいちいちするのか、というと他人と違うことをするのがイヤで、恥ずかしいのだ。だから自分からやろうという意識があっても、恥ずかしくて行動ができないので他人からの「指示」によって初めて動こうとする。
 しかし、それが楽しいか、というのには「楽しい」と答える人はいないだろう。私も前は他人依存症だったが、「楽しい」の「た」の字もなかった。しかし、最近私はだんだん自分から動くことの楽しさに気づいてくることができた。例えば部活で準備する時や行動する時に、人から言われる前に自主的に動いてみる。これが、結構楽しい。まじめとか、そういうことではない。自分から自由気ままに動けると、自分は「楽しい」と思えるものだと思う。
 最近の子供が「他人依存症」でひたすら誰かの指示を待っているのは、人の目を気にして、他人と合わせようとして、つい他人と同じことをしようとするからだ。だから、かえって他人と違うことをしようとすると、困惑してしまう。しかし、その「他人と違うこと」=「自由」ということに慣れれば、集団で生活するうえでもっと楽しいものになると思う。自由気ままにできる集団というのは、自分をもっとよいものにしてくれる。しかし、それは自分から「行動」を起こさないとできるものではない。自分の一歩で、集団が大きく変わるかもしれないのだ。

   講評   yuka

この作文は、自分自身を見つめなおし、掘り下げる、という
とても客観的な視点が必要となるものでした。

とても冷静に自分自身の内面や状況を分析している内容だよね。
よく書けています。


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)