国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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昼休みの遊び れもん
「あっ音楽がなりだした。」
私の学校では、昼休みのおわる五分前ぐらいから、音楽が放送される。そして、私と私の友たち二人、合計三人はまるで誰かに引っ張られているようにその音楽にあわせて踊り出す。これが私の遊びだ。そして、その踊りのルールとして、音楽に合っていたら相手をきれいにくすぐってもいいのだ。ときには一人を集中攻撃したり、三人を平等にくすぐったりとくすぐり方はいろいろである。
この遊びをするときは
「やろうか。」
なんていう言葉ではじまるのではなくて、勝手にいつのまにか踊っているのだ。こんな遊びを始めたのは、一学期の昼休みだ。その日の昼休み、いつもいっしょにいる三人で何も遊ぶことがなかったので、なんとなく教室にやってきた。そして、いつのまにかその教室にながれていた音楽にあわせて三人で踊っていた。そして、ちょうどその時私たち三人の中で流行していたくすぐりが音楽にあわせて始まっていたのだ。そして今でも音楽が始まれば三人でその音楽にあわせて踊っているというわけだ。
確かにこの遊びはとても奇妙なものだが、私たち三人はずっとこんな奇妙な遊びをやっていたわけではない。この音楽に合わせて踊るという遊びを思いつく前はどんな遊びをやっていたかというと、鉄棒である。この鉄棒で、私たち三人は友たちになった。二年生になったばかりのころのお昼休み、私がやることがなかったので、鉄棒のある中庭に出た。そこで、なにをやろうか考えていたとき、目の前に鉄棒があった。その鉄棒では一人しか遊んでいなかった。「一人しかやっていなくてすいているし、鉄棒でもやろうかな。」と思い鉄棒に近寄るとそこであそんでいるのは私と同じ二年生だった。私はその子のことは一年生のときは存在すらしらなかったが二年生になって、席が隣になったので、なんとなく知っていた。そして、それから私は鉄棒にはまり、毎日のように鉄棒で遊んでいた。そして、その子も私と同じように毎日のように鉄棒で遊んでいたためだんだん仲良くなった。その子が私と一緒に音楽にあわせて踊ることになる友達なのである。
そして二人でいつものように鉄棒で遊んでいたとき
「教えて。」
と話しかけてきた。その子も私といっしょに音楽にあわせて踊ることになる友達だ。そして、それから私たちは約三年間鉄棒で遊んだ。しかし、鉄棒をやると、たくさん手にまめができたり足がいたくなったりするので、私たちは自然と鉄棒からはなれていき、音楽にあわせて踊るという奇妙な遊びにかわったわけだ。
私のお母さんは私ぐらいの時、私とは全くちがう人形で遊んでいたそうだ。しかし、その人形の洋服はお母さんの友達のおさいほうがとてもうまい人に作ってもらっていたそうだ。私は、だからお母さんは今でもおさいほうが苦手なのだ、と納得をした。
このように、遊びはだんだんいろいろな理由からかわってくる。またそれぞれの人の性格によってちがうということがわかった。
私たち三人は今日も音楽にあわせて踊っているかもしれない。
講評 nara
今まですごく気に入っていた遊びが、何かのきっかけで変わって、別のものになるということがあるのだね。それが、音楽に合わせて踊るということに変わるのも、何だか不思議だ。三人とも何となくそうしてしまっていた、というのは、以心伝心気心が通じている証拠なのかもね。
遊びの内容は変化しても、「三人」「体を動かす」というのは共通だね。小さいころからさいほうが苦手だったお母さんが、今でも苦手なように、れもんさんたち三人組は、大きくなっても、体を動かすことが大好きなのだろうと思うよ。まさに、「三つ子の魂百まで」だね。(三つ子は、三才ということね。れもんさんたち三人娘、ではない。
)
小さいころの遊びは、実は、自分の性格や向き不向きを確認していくために大切なのだろうな。遊びはムダなことのように見えて、実は成長していく中で、必要不可欠なものかもしれないね。
書き出しとまとめがうまく合っている。「……わかった。」で終わるよりも、余韻があっていいね。どこからか、音楽も聞こえてきそうだ。
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