国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   意識のもち方   ルフィ

 宇宙飛行士に話を聞くと、ある共通点が見られる。彼らは、宇宙の中で「私」という個体意識からの脱出を経験しているのだ。例をあげるならば、シュワイカートは撮影するはずだった機械が壊れて宇宙空間の中ただ一人静寂に包まれた。真っ青に輝く美しい地球を見たとき、突然彼の中に何かが満ち溢れた。今ここにいるのは「私」であって「私」でなく、生き物としての「我々」なんだと。彼が体験したこの固体意識からの脱出は、今地球に住むすべての人人に求められている。
 自分の為だから努力できるという気持ちが大切な時がある。スポーツなんかはそうだ。僕は、バスケをやっている。バスケというのはチームプレーが重視されるが、それは個人技から成り立っているものだ。パスも出来ずにチームプレーは成り立たないだろう。だから僕は、僕自身の目標に向けて一生懸命努力した。その結果、チームとしても区大会で準優勝できるほどに成長したのである。個人ががんばれば、周りもがんばり結果として良くなることがある。
 だが、全体の為だったらがんばれるという気持ちを持ったほうが良いこともある。桃太郎という昔話を例にとって見よう。桃太郎は、鬼に苦しめられる人を見てなんとしても助けたいがために旅に出て、仲間を手に入れて見事退治することが出来た。しかし僕はこの話を読むたびに思っていたのだが、何故言っては悪いだろうがあんな人間と動物のへんてこりんな混合チーム(笑)で鬼を退治できたのだろう。鬼というほどだからかなりの力を持っていたはずだ。それがやられたのは、作戦もあっただろうがみんなを救いたいという桃太郎の気持ちがあったからではないか。彼は、全体の為にならがんばれる人間だったのだ。
 確かに自分の為、全体の為ならがんばれるという気持ちはどちらも大切だ。しかし、本当に大事なのは個人個人が何らかの利益を得ることができるということではないか。「私たちの幸福が、他の人々の不幸に支えられているのであってはならない」という言葉の通りだ。先日、社会化の授業でニューディール政策について習った。国が借金してでも公共事業を行い、人を雇って失業者を無くしてその借金を後の税金で払うというものだ。もし、成功すればすばらしい政策だと僕は思う。結局はみんなが裕福になれるからだ。それが成功した国が、他の国を援助する・・・・。シュワイカートの思った地球規模の意識に、世界はだんだんと近づいてきていると思う。

   講評   kira


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