低学年から学力の基礎を作る
幼長、小1、小2、小3の基礎学力をひとつの講座で学ぶ。
読書の習慣、国語算数の勉強、暗唱の学習、創造発表の練習をオンラインで。


昨日2126 今日1296 合計8294
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   行間   あめす

新聞というものをまるで読まないと言い切っている人がいる。そうかと思うと、朝手洗いで新刊書の広告を読むのが最大の楽しみだという人もいる。長文の筆者は、行間と余白の読み手であるのかもしれない。そういう意味で筆者は、新聞を、月一度とか二度でなく毎日立つ縁日のような物であると見ているふしがある。読み手たる筆者は、ぶらぶら散歩して店をひやかす客のような存在である。
僕は、行間を読むことを大切にしていきたいと思う。第一の理由に、行間は役に立っていないようで役に立っている。僕は、新聞を見るとき必ず見る面が三つある。一つ目は、テレビ欄である。二つ目は、四コママンガである。そして、三つ目は、将棋である。いずれも、行間のようなものである。しかし、行間といっても役に立つのだ。テレビ欄は、その日のテレビの情報を得る。四コママンガでは、いまどきの出来事が、出ていたりする。そして、将棋ではどのようにして将棋を打っていくかを知ることができる。なんとどれも役に立たないようで、役に立っているのである。
第二の理由に、行間がないと疲れてしまう。学校の生活に当てはめるとわかりやすい。新聞の文章を授業時間とあらわし、新聞の行間や余白を休み時間をあらわす。すると、学校では、授業と授業の間に休み時間があるから、また次の時間がんばれる。しかし、行間がなければ、授業を受けっぱなしで、休みがなく非常につらい。新聞も同じである。文章と行間があるから、文章を読む気になる。しかし、行間がなければ、休み時間がないのと同じでつらい思いをする。データによると、男性、女性ともに、収入増と労働時間短縮のどちらを選ぶかという問いに対し、時間短縮を選ぶ割合の方ガ高くなっている。
確かに、中身が充実していることは大切である。しかし、どこかに行間がなければしんどい。「多すぎる休息は、少なすぎる休息と同じように疲れさせる」という言葉があるように、人間は少なくとも多くとも休息を取らなければいけないのである。僕は、新聞の行間ばかり読んでいたので、これからはしっかり文章も読もうと思う。

   講評   mika

雅貴くん、余白のない新聞という仮定を使って、余白の大切さをうまく伝えることができたね。おもしろい意見文だ。確かに先生も、「行間や余白がまったくない新聞」は、誰も読みたがらないと思う。もちろん理由は「疲れてしまうから」だね。情報は、ただ量が多ければよいというものではない。読み手に、いかにうまく有意義な情報を伝えるかが勝負どころだ。余白の存在は、その一つのポイントとなるんだね。
さて、新聞の余白に限らず、何かをするときに、ほっと一息つく時間や空間があることは、とても大切なことだと思う。時には、がむしゃらに物事に取り組むことも必要だけど、ちょっとした休みを入れることで、効率がぐんと上がることが多いものだ。
また、普段は気付かないけれど、こういった余白や空間は、私たちは生活の中のあちこちに見つけることができる。それに気付くと、一見役に立たないものを、私たちは反対にうまく利用していることがわかるね。雅貴くんもそんな例を、身近なところで見つけることができていた。もし、休み時間のない学校があったら、行間のない新聞と同じように、生徒が一人もいなくなりそうだものね(笑)。

名言を自分で選んで書いたところは◎。でも言葉の意味をちょっと取り違えたのが惜しかったね。この名言は「多すぎる休息は、休まないのと同じくらい良くないよ」という意味なんだ。雅貴くん流に言えば「余白ばかりの新聞は、文字がびっしり詰まりすぎている新聞と同じくらいつまらない!」って感じかな。
「春が、すぐそこに来ているね♪」

毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)