国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

昨日3330 今日1145 合計7041
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   節分   RAZOR

節分という言葉は、”季節が分かれるとき”という意味ですから、本当は立春・立夏・立秋・立冬などの前日はすべて節分ということになります。ところがいつからか、立春に限っていうようになりました。 
もともとは中国から来たもので、ついなの行事は「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」などと、悪い鬼を駆逐する行事をいいます。日本で、この行事が行われたのは、文武天皇の慶雲三年(706年)に宮中で初めて営まれたことが「続日本紀」に書かれているそうです。その記事によりますと、慶雲三年には諸国に疫病が蔓延し多くの死者が出たので大いに「おにやらい」したと記述されています。
 宮中では官職の者が鬼の姿をして災害や疫病などの災いに見立て、また黄金の仮面に矛(ほこ)や盾(たて)を持った者が豆を撒きながら悪魔悪鬼を追い払い新しい年を迎えたといいます。
 後世になりますと、一般の神社やお寺でも節分の夜に豆まきが行われるようになりました。江戸時代にはいると宮中の行事ではなくなり、民間で広く行われるようになり今日に至っています。豆まきの方法も地域によっていろいろな風習がありおもしろいものです。
 山形市史の生活・文化欄には、豆まきの際、
「福は内福は内、鬼は外鬼は外、天打ち地打ち四方打ち、鬼の目ン玉ぶっつぶせー」
と大声で唱えるとあります。この豆は災難よけになるといってとっておき、山へ行く時や遠出の時に食べるそうです。また自分の年の数だけ食べると、福が授かると信じられています。
 一般的には
「福は内、鬼は外」
というのが普通のようですが、東京雑司ヶ谷の鬼子母神では
「鬼は内、福は内」
といいます。
「鬼は外」
といえば祭神を追い出すことになってしまうからだそうです。
 同じようなとなえごとは山形県山辺町にもあります。山辺町大寺地区に「鬼の目」という処があります。この珍しい地区の由来というのは《昔、赤鬼と青鬼が隣村の黒鬼にいじめられていたのを村の男が助けた。二匹の鬼はお礼にと片目をそれぞれくれた。そして男亡き後、村人はその二つの目玉を岩の中に埋めて霊を慰めたといわれているそうです。以来岩肌には丸い石が増え続け、後の世も村人達の目には鬼の目のように映ったことからこの地名が生まれたといわれています。》以来、鬼の目に住む人達にとって、節分で豆まきをするときのかけ声は「福は内、鬼は内、鬼はござんしょう(よくいらっしゃった)」という豆まきをする習慣がむかし昔から伝わるといいます。
 さらに、奈良県吉野山の蔵王堂においても、「福は内、鬼も内」というそうです。こちらの場合は、鬼を集めて、お経の功徳、仏の力で改心させようというのであります。
 一方、山形市漆山の真壁さん宅の節分行事では、他の家々で豆まきが始まる頃、他家から追われた鬼を門まで出迎え、客人を案内するかのように奥座敷に招き、坐布団に坐らせて丁寧に挨拶、酒やご飯をすすめるという行事が今でも行われているそうです。
 山形県天童市の若松寺では、豆まきそのものをしないという「鬼やらい」の儀式を営むことで知られています。若松寺では全国の鬼を呼び集めて供養する修正会(しゅしょうえ)がおこなわれます。これは、鬼を一方的に追い出すだけでは真の家内安全につながらず、身を清めて真人間にすることが供養との考え方にたっているようです。和銅4(711)年の開創以来伝わる全国的に珍しい儀式です。
 一方、当寺での豆まきの言葉は、これもいつの頃からか不明だそうですが、「福は内福は内、鬼は外鬼は外、天に花咲き地に実なれ、鬼の目ン玉ぶっつぶれろー」と威勢がいいのです。少々あらっぽい気もする唱え言葉です。
 ところで、当寺では今年もやっぱり、少し気恥ずかしさを感じながら「福は内福は内、鬼は外鬼は外、天に花咲き地に実なれ、鬼の目ン玉ぶっつぶれろー」と豆まきをしたそうです。
 節分会には鬼に豆がまかれますが、これは中国の習俗をそのまま伝えたものです。すでに、我が国にも米をまいて悪霊を払う呪法がありましたので、豆をまくことが容易に受け入れられたものとみることができます。当寺では豆をまきおわってから、それぞれ自分の年の数だけこれを食べ、この豆は災難よけになるといって取っておき、山へ行く時や遠出の時に食べます。自分の年の数だけ食べると、福が授かると信じられていたというのは山形市周辺と同じ風習のようです。  また、節分には昔から鰯の頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺して、鬼門や門口にはさむ風習があります。悪い鬼は鰯の臭いのと、柊は「鬼の目突き」といってトゲがあるので逃げ出すのだと説明されています。鬼門とは北東の丑寅(うしとら)の方角をいいます。そういえば、鬼は牛の角を持ち、寅の皮のパンツをはいていますがこれは偶然なんでしょうか。 鬼に、良い鬼と悪い鬼がいるというのは、人の心のあり方を示しているのでしょうか。
 また豆の話に戻りますが、豆は「煎った大豆」である必要があります。大豆であることは重要ではないかもしれませんが、「堅い豆を煎る」ということは必要です(もし打った豆から芽が出ると悪いことが起こるという話もあります)。これは「金」を表す堅い豆を「火」で煎ることにより、「火剋金」がなりたつ必要があるためです。このとき食べる豆は自分の年齢プラス1個です。今まで生きてきた年、そして新たに始まった年、その数の豆を食べることで「金に剋つ」、つまり、病などに負けないという願いが込められています。
他の風習としては、関西ローカルで巻き寿司の丸かじりがあります。元々は愛知の風習だったらしいのですが、それに目を付けた海苔屋さんが大阪の道頓堀でイベントをしたら、テレビに紹介されて少し広まったとか。とはいえ、関西とは言っても、実際にやっている地域はかなり限られているような気もします。
 巻き寿司には福を巻き込むという願いが込められ、これを恵方(えほう)に向かって、一本まるまる食べるのが良いらしい。切らないのは縁を切らないようためです。ほかにもルールとして、
・笑いながら食べる。(普通だったら不可能)
・黙々と喋らずに食べる。
・一本を一気に食べきる。
笑いながら食べるのは難しそうだし、1本食べるのも普通のサイズの巻き寿司だとちょっと根性が必要な気がします。このとき向く、恵方というのは年神さまのいる方向です。この年神さま、なかなかどうして活動的なようで、毎年移動しています。しかし、行動パターンは一定のようで、干支によって方角が決まってきます。
 そのような意味があって毎年豆をまき、丸かじり寿司を食べたりしているのだと思うと、今まで自分が無意識にやっていたことがあっていたのかと思いました。
 来年からは、その辺のことも少し考えて節分を楽しみたいと思います。

   講評   nara


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)