創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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「土の道」とは? にわとり
もちろん舗装された道も場合によっては大切である。ほこりをあびせかけられる街道筋の家などは気の毒で見られない。一刻も早く舗装しなければ、道すじの家は窓も開けられない。だが、道が一番道らしいのは、人間のくらしをあたたかに支え、いろいろなものを発見することのできるふみしめられた道である。この事だけは忘れてはならないのだ。(要約)
わたしは、「土の道」というのをあまり見たことがない。わたしの母の実家は、畑があり、まわりには山がありの、わたしは昔っぽいという印象がある。家の前に、石がいっぱいしきつめられていて(?)そこがわたしにとって唯一の「土(石)の道」かもしれない。車が通ると『じゃりじゃり』や『ぼこぼこ』と、石と石とがぶつかりあう音がまるで自然の奏でる美しいメロディーのようにわたしの耳に聞こえる。昔はこのような道がたくさんあったのだと思うが、だが、今の道は、コンクリートで、この近くではあの美しいメロディーが聞ける「石の道」がない。もちろん「土の道」も。「土の道」とはどのようなものであろうか。公園の砂場のようなもの?歩くと足が少しうもれたり、雨がふると茶色の水たまりができたり?と、そのようなことしか思いつかないのだが、本当はどのようなものなのか。あまり人が通らない道まで舗装されてしまう、舗装する意味があるのか。コンクリートの道もいいところはあると思うが、自然を大切に、といっているのに、どんどん「土の道」がコンクリートの道になっていくのだが、矛盾しているとは思わないであろうか。わたしは、コンクリートの道ばかりの時代を生きている。親たちは、「土の道」を生きた、と思う。「土の道」の良さを知る人にとってコンクリートの道は、どのようなものなのか、と考えたら、これからコンクリートにしようと思っている道は、残して欲しいと思っているだろう、と私は思う。
「土の道」の良さというのをわたしは知らないが、わたしが住んでいる団地には、芝生がたくさんある。最近はやらないのだが、小4くらいまで芝生に寝転んで空を見ていた。(本当は芝生に入って遊んではいけないという決まりがあるのだが普通に芝生に入って寝転んでいる)芝生に寝転んだ瞬間、草がチクチクするのだが、下の土がふかふかで、『チクふか』がマッチして気持ちがいいのだ。(前の話)「土の道」の土も、このようにふかふかなのだろう・・・と思うと、寝転んでみたくなる。でも体験することはできないかもしれない。コンクリートの道が増えてしまってこの近くには「土の道」というものがないからだ。
人間にとって人工的で快適な暮らし、環境は大事だと思うが、自然もそれらに負けず劣らず大事だと思う。自然との触れ合いが減ってきているのに、人工的なものが更に増えてきている、という事実に少々納得できない。今、人工的なものが減ると、生活が不便になると思うが、少しずつでも、自然を増やしていけるといいとわたしは思う。
講評 jun
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