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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   五感とぎすまそう   うつと

その無力感は、深刻な絶望とは異質な、むしろ居心地良さと温もりさえ感じられる「たぶんそれはなにか途方もなく大きな」諦めのようなものだ。即ち、音は、間違いなく、生きものなのだ。私は、音をつかって作曲をするのではない。私は音と協同するのだ。{要約}
音楽だけではない。風、水などは生きているのだと僕は思う。この作品にもあった「そしてそれは、固体をを有たない自然のようなものだ。」に、僕もそうだと思う。{意見}
水は生きていると言われても、あまりピンとこないのは、それは水道の水のことを考えているからだと思う。水道の水は、自然の水ではない。人間が作り出した水である。しかし、川などの水は明らかに自然の水だと思う。水道からでている水は、あまり生きた感じがしない。あくまで、流れ出てくるだけ。しかし、川の水は違う。自由である。水道管などに閉じ込められず生き生きと流れている。それでこそ生きた感じがする。{理由}
僕は、ある日扇風機にあたっていた。夕方になってやっと涼しくなったので外に出てみた。そうすると、そよ風が僕の肌を気持ちよくなでた。そこで僕は思った、扇風機から出る風は、そよ風と全く違うと。たしかに扇風機は風力設定ができるが、でもやっぱりそよ風とは違う。扇風機の風は人工的で、そよ風は自由である。電源を入れないと生きることが出来ない扇風機の風に対して、そよ風はいつでもどこからともなくふいてくる。{体験}
音楽などが生きているなどと思う人を、おかしいと否定的に思う人もいるだろう。しかし、そんな人も一度水道の水と川の水を見比べて見てはどうだろう。もしかすると、生きていると言う意味がわかるかもしれない。「カメラマンは、レンズのほこりを払うまえに目のほこりを払わねばならない。」という名言があるように、自分自身の五感を大切にしたいものだ。

   講評   kira


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