国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   私の名前は・・・   かず

 「なんで、平岡和博という名前になったの?」(書き出しの工夫)
と友達などに聞かれる。私はこういう、
「平岡の平と和博の和で平和という字になって、和博の博は父の兄弟も祖父も博が付く。」
私はこの名前が好きだ。でも嫌な所もある。例えば私は習字を習っていて、平岡と言う字はまあまあ良いのだが、和博という字が苦手だ。和という字の口が小さくなったり、博という字は右側の方がメチャクチャになったりする。私はそれで段が上がれなかった事もある。そのときは悔しくてしょうがない。また、名字の最後と名前の最初が同じでよく自己紹介などでつっかることがある。
 私の名前は伊藤博文がいなければ違う名前だったらしい。博文か文博だったかもしれない。なぜかというと文は母の名前の文子と書いて、「ふみこ」と呼ぶからだ。でも伊藤博文は歴史上大事な人なのでいなかったら、みんなが今困っていると思う。だからこのままでいいかなと思った。
 2つとも聞いた話だが一つ目は、刑務所では名前ではなくナンバーなどで呼ばれるらしい。つかまった人でもつらいと思う。今まで普通に名前で呼ばれるのがいきなりちがうふうに呼ばれると気づかないのではないかなと思う。このように呼ばれたくない人は罪を犯さなければ良いと思う。また、戦争後日本で一番多かった名前は勝と付く名前が多かったらしい。それは多分よっぽど戦争に勝ちたかったからだと思う。昔の人は戦争でそこまでするのはすごいと思う。
 私は、たまに名前をからかう人を見るが相手を侮辱する非常にいけない事だと思う。名字は代々伝わってきた大事なものだとおもう。名前は親から一生懸命考えてもらい、さずかった大事なものだからだ。私はたぶん名前でからかわれたらすごく怒ると思う。
 私は名前にはいろいろな名前があるということがわかった。私は最近名前で顔が現れているような気がしてきた。転向して名前がわかるのだが、人がわからないということがあった。なんとなくこの人のような気がして聞いて見たらあっていたという偶然のようで、偶然ではないという信じがたいこともあった。私は習字を習っていて、平岡と言う字はまあまあ良いのだが、和博という字が苦手だ。和という字の口が小さくなったり、博という字は右側の方がメチャクチャになったりする。私はそれで段が上がれなかった事もある(書き出しの結び)が、私はこの名前が嫌いということでもなく、逆に良い練習になってよかったと思う。人間にとって名前とは大事なものであり、自分を証明する1番のものだと思う。私はこれからも自分の名前をまるで宝物のように大事にしたい。

   講評   nara


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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