創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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江戸時代のみず ドルフィン
お米とはそれほどに、国民の生きるための基本だったのです。お米は、わたしたちの気づかぬところで、いつもわたしたちといっしょです。ふった雨が森林や水田の土にしみこみ、ゆっくりゆっくり地下を移動し、何年も何十年も、ときには何百年もかけて、やがて地表にわきでます。(三文抜き書き)
私がこの話を読んで、1番たいへんだと思ったのは、お米の売り買いです。なぜならかってに売ったり買ったりすることは禁じられ、生産されたお米は、すべて、政府がいちどに買い上げ消費者は、決められた量だけを、そこから買うようになっていたからです。
わたしにも似た話があります。わたしが1番さいしょに住んでいたところは、まわりが、水田(田んぼのこと)で、マンションが、2つ、たっていて、そのマンションは、おとうさんの会社につとめている(いっている)人しかすんでいません。わたしは、とってもちいさいけど、お兄ちゃんは、おおきい(おおきいといっても、そんなにおおきくない)だったから、水田で、よくあそんだけど、わたしは、よちよちあるきしかできないようなころだったから、いけなかったです。
わたしは、ぜんぜんおぼえていません。お兄ちゃんに聞いたら田んぼの中を歩いていったころにある、おすしやさんをおぼえているそうです。
お母さんに聞いた話です。お兄ちゃんがちいさいときに、りにゅうしょく(おかゆ、パンがゆ、うどんなど)をたくさんたべていました。おかあさんは、たぶんいつもおかゆだとあきるから、たまには、パンがゆやうどんをいれたのでしょう。でもおばあちゃんが、
「かわいそうに、だいようしょくばかりたべさせられて。」
お母さんは、だいようしょくの意味がわかりませんでした。おばあちゃんは、せんそう中に、ごはんのかわりに、おいもとかをたべていました。だから、ごはんいがいは、だいようしょくだったそうです。おばあちゃんは、だいようしょくがきらいだった(?)のかもしれません。だから、まごには、たべさせたくありませんでした。でもおにいちゃんは、おかゆ、パンがゆ、うどんの中で1ばんよろこんだのは、パンがゆというだいようしょくでした。わたしは、おにいちゃんが、まるで、あまのじゃくのようでした。
わたしは、このはなしをよんで、みずは、いまから300ねんぐらいまえに、ふったみずをのんでいるんだなとわかりました。
講評 jun
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
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