低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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四季 ルフィ
秋刀魚。誰でも知っている魚である。読めるだろうか。クラスの人に聞いても、半数以上はわからないと返ってきた。ちなみに正解はサンマである。昔はサンマといえば秋!ということだったのでこのような漢字が使われていたのだろうが、今では冷凍ものが多いからか、一年中スーパーで見かけるようになってしまった。野菜も同じである。温室が出来てからは何でも手に入るようになってしまった。日本の特長である、季節の移り変わりがあまり感じられなくなるのは、寂しい限りである。私は、四季というものを大切にしていきたい。
外に飛び出すことは、四季を感じる最も手っ取り早い方法である。公園に行ってみるのもよい。そこにある木々を見るだけでもその季節を感じることができる。私などは、落ち葉が落ちる瞬間を見つめているだけで思わず寂寥の感がこみ上げてくるものだ。最も中学生でそんなことをやっていたら不気味に思われるだけだが(笑)また、窓を開けるのもよい方法だ。外の空気の感じ方も、日々違いがある。それに、なんと言っても日本を代表する庶民の生活を描いた漫画の歌にもちゃんとあるくらいなのだ(笑)とにかく四季をこの体で実感することが大切にすることにつながるのだ。
また、四季を大事にするという気持ちを育てるために、社会はもっと自然と子供が触れ合う機会を増やすべきだ。先日の長文にあったトンボ王国のように。トンボといえば、秋の風物詩であるが、今の子供はペットショップに売っているものと思ってはいないだろうか。といってもさすがに大丈夫だとは思うが(笑)しかし、このように心配をする必要があるという時点ですでにこれは笑い事では済まされないように思える。だからこそ、公園の整備など、自然と触れ合う場所を国は作らなければならない。そのように、自然と触れ合えば、子供は必ず四季に対しても興味を持つのだから。
確かに、今の世の中四季なんていったら時代遅れのように感じるかもしれない。四季なんて古臭い、と。しかし、その四季を大切にする文化を続けて日本は1900年余りの歴史を刻んできたのである。それだけの間大切にされてきたのだから、その四季というものはいかに大切なものだということになぜ気がつかないのだろうか。「雑草とは、まだその美点が発見されていない植物である」という名言があるが、四季は雑草ではない。もうすでにたくさんの美点は発見されているならばとる道はひとつ。その美点をこれからも生かしていくしかないだろう。
講評 kira
ルフィくん、こんにちは。味わい深い文章です。まるで、大根おろしとすだちを添えた秋刀魚の塩焼きのような。するりと入ってくるいい文章ですね。秋刀魚は大好物です。秋はいいね。(でも、蕁麻疹が出るんです。蕁麻疹をこらえて食べています。)
漫画の歌って、サザエさんかな? 空気に生活のにおいがするのは、日本ならではの路地の生活を思い起こさせます。おとなりの今日のおかずはばっちりわかっていたりして。そんな風通しのよい環境で、私たちは季節を感じてきたのです。
自然とふれあう環境も、真に自然につくってもらいたいね。人間の手が及ばない自然を、身近に置きたいものです。私たちは人間を過保護にするのに飽き足らず、自然まで過保護にしようとしている。
日本の歴史は、ほんとうに四季とともにありましたね。風景には必ず季節の名前がついています。そうした歴史をこれからも守っていきたいものです。
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