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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   運命には逆らわず   キティ

運命には逆らわず
 カソンは運命を信じる人はなまけ者でおろか者であるという。不運をなげいている人は、幸運が自分を見つけるべきだと考えて、自分が幸運を見つけるべきだとは考えていない。「私の人生はどうしてこんなに苦しいのだ」と嘆き、困難や不幸を招いたのは自分の過去の行いの集積であるとは最後まで気がつかない。人は「日々の積み重ねの結果そうなった」という、かくされた部分はなかなか理解できない。「なぜうまくいかないのか?」の理由を見つけ出すことだ。すべてのことには理由がある。(要約)
 カソンさんのいっていることは正しいと思う。私もおばあちゃんにプレゼントをもらった時など毎回お礼の手紙を書いている。これを毎回していなければ、きっと可愛がってもらえないだろう。孫はたくさんいるのだから、一時も気がぬけない。
 私の身近に、紹介したくなるような悲観論者がいる。いつもこんなふうに嘆いている。
「何でお父さんと結婚してしまったのだろう。オーストリア人なんて靴で家に上がってくるし、冬になるとフードをかぶって車を運転するほど寒くなるし、食べ物も野菜が少なくってお魚もない・・・。あ〜、日本に帰りたい。横浜こそが私の故郷だ〜。」
と私が物心ついた時から言っている。あげくのはてには運命のせいにして、ののしっている。
 しかしこの女性には幸せなことに家族という『ゴミ箱』があって、この文句を全部これに吐き出して、気持ちを楽にしている。
 ブツブツ言っている悲観論者にも、考えてみると大きく二つのタイプに分かれると思う。運命を素直に楽しく受け入れる人と、運命だからしかたないと言って文句しか言わない人だ。この女性は運命を受け入れている方だと思う。いつもブツブツ言って運命のせいにしているが、文句の分だけ前向きに働いている。
 『毎日のささいな生活上の連続が大きな幸運や不運を運んでくる。』とある。本当に細かい気配りたっぷりの生活をしていたら、幸運はやってくるのだろうか。しかし、私が好きな偉人たちの多くは、幸運どころかとても不幸な人生だった。
 例えば、オーストリアの最後の王様フランツ・ヨーゼフ。
 フランツ・ヨーゼフ王は毎日四時に起き、時計のように規則正しく仕事にとりかかっていた。しかし一人息子ルドルフは自殺をし、愛妻エリーザベートは王宮にいることはなく、放浪の末ジュネーブで暗殺された。
 モーツァルトは音楽の天才だった。しかし生きていた時代は全く認められなかった。亡くなった時はどこかの穴にほうりこまれ、今でも彼の遺骨を見つけることはできない。
 ダイアナ妃は各国に埋められているたくさん地雷を取り除く平和活動などを懸命にしていた。しかし結婚生活は不幸そのもので、最後には車の事故で亡くなってしまった。この事故は今だに暗殺だったのではとささやかれている。
 この他にも、たくさんの偉い仕事をしてきたにもかかわらず、不幸だった歴史上の人物が大勢いる。どんなに偉いことや、どんなに細かい気配りをしても運命には逆らえなかった。運命とは本当に存在するのだと思う。肝心なのは、運命をただ避けるのではなく、勇気を持って立ち向かっていくことこそが大切なのだ。
 川岸で橋ができるのを待っているだけではだめだ。努力して橋を作ることは大切だ。だが私にはもっといい案がある。なにも橋を渡ることだけが人生ではないのだ。向こう岸に渡らないで、こちらで幸せをつかんでいくことだってできる。
 人生の消耗に耐えられる人ととは一体どんな人なのだろう。運命にさからわず、今を大切に生きること、これが今の私にできることだ。

   講評   yuu



幸せな出来事に遭遇すると、じわじわと「これも運命だったのね♪」などと思うこともあるかもしれません。逆に、信じられないような不幸に見舞われても「私の運命っていったい・・・・・・」と運命を嘆くことがあるかもしれません。ただ、マリアちゃんもそうであるように多くの人間たちは日ごろから「運命」を意識し、「運命」というものに縛られて生きているわけではありません。私もそうです。もちろんお母様もご自身の運命をいつも考えていたりはしないはずです。このように考えてみると、私たち3人は(笑)とても幸せな充実した人生を過ごしているのだと感じられます。ね。
要約に引用してくれた抜粋文を見てみると「確かにそのとおり!」とうなずかざるを得ない名文が書かれています。『運命を信じる人は怠け者で愚か者』なのですね。もちろんこの極論とも言える見解にたどり着くまでの過程が大切です。



人の生きる道を川に橋を架けることにたとえてくれていますね。とても美しい文学的で詩的な表現です。
人生に架ける橋にはいろいろな形がありそうですね・・・・・・
ふらふらしていて危なげな、でもとっさの知恵で架ける「丸太橋」
誰かの力を借りながら時間をかけてじっくりと「つり橋」
危険がいっぱい、みんなには反対されるけど、どうしても我慢ができず渡ってしまう「綱渡り(つなわたり)」
自分のためだけでなく家族を守り社会の一員として一度は架けたい「大きな橋」(笑)

偉人たちの名前が実例として上手に扱われていますね。作文を書くときのマリアちゃんの熱心な予習、学習の成果が表れています。

日本では茶道の場で「一期一会」という言葉をつかいます。マリアちゃんも知っていますね! そして「袖ふり合うも多生の縁」という言葉もあります。人の人生に運命があるならば、その人々の結びつきの中には縁というすてきな運命もあるものですね。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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