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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   本当の幸福   はるる

 幸福とは、一言で言い切れないものだと思う。なぜなら人それぞれで何を幸福と感じるかが違うからだ。例えば中には勉強することによって幸福を感じる人もいれば、その逆の人もいる。しかし、それ以前に自分は全く幸福ではないという人が存在する。その場合、私は大きくわけて二種類のタイプに分類できると思う。一つは幸福を感じるセンサーが麻痺している場合、もう一つは自分を不幸であると考えるのを好んでいる場合だ。私は遙か遠くに見える、虚像の幸福を追いかけるのではなく、自分の身近にある幸福に気付くべきだと思う。
 そのための第一の方法は、今現在の自分を見つめなおすことである。現代の日本では、ただ無気力に毎日を過ごしている人が多いと聞く。繰り替えす同じような日常に不幸さえ感じることがあるらしい。けれども、少し考えてほしい。平和であり明日食べる食料のことも気にせず生活できるということは、それ自体大変な幸福なのだ。もし戦後であったのならば普通に学校へ行って学べることも、一日三色食事をとることも難しかったのかもしれない。人間は一旦根源的な欲求、衣食住が満たされると今度は平和に生活することを望むらしい。そして平和に生活することが満たされると、次は自分自身をいかに表現するか、評価されるかを望むらしい。ということは、現代の日本人は明らかに第三段階目に突入しており、大半の人が第一段階第二段階の幸福は満たされているということになる。
 第二の方法は、自分が不幸であると思い込まないことである。人間はもろい生き物だ。ちょっとしたことで傷つきやすい。そしてそれを不幸だと思いこもうとする。実際、自分が幸福であると考えるよりも自分は不幸だと考える方が楽なのである。もし不幸である自分に同情してくれる人がいたら、なお嬉しいことだろう。けれども、きっと自分は不幸だと思って成功した人はいないだろう。歴史上に存在する一般的に見たら不幸な人たちは、おそらく自分自身では自分のことを不幸だったとは思っていなかったと思う。(歴史実例)
 確かに現代の日本では何が幸福であるのか、なかなか見分けるのが難しいと思う。時には遙か遠くにある蜃気楼のような幸福に惑わされてしまう時もあるだろう。しかし、一つ言えることは幸福とは身近に存在するということだ。幸福は感じる人がそれを幸福として見ようとしないと、それと同時に死んでしまう。(自作名言?)本当の幸福があいまいな現代こそ、幸福を感じる心を養っていくべきだと思う。

   講評   sugi

 はるるさんの幸福論、とても楽しみにしていましたよ。さすがはるるさん! うまく全体をまとめています。自作名言の部分は、私も大賛成! 幸福かどうかは客観的に見るものではなく、自分の中に「幸福を感じる心」があるかどうかだったのだね。人間、不幸を感じるのは簡単だけれど(たいていの人は、他人と比べて不幸だと考えるくせがあるので)、幸福を感じ続けるのは難しいことなのだね。
 第二段落の、幸福の段階の話もおもしろいなぁ。第三段階の幸福、つまり何かを創り出すことや表現することは、他の動物にはない人間としての幸福だね。これもまた幸福を論じるときの大きなテーマになりそうだね。
 自作名言はこの調子で大丈夫。どんどんすばらしい名言を生み出してね。歴史実例は、できれば具体的なものを。テーマに合わせて実例を見つけるのは難しいので、使えそうな実例をいくつか自分のカードとして持っておいて、実例に合わせて書いていくのが、一番いいやり方だよ。

繰り替えす → 繰り返す
一日三色食事を → 一日三食食事を

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