国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   自分の役割って・・・。   田鳥倉部

 十五年たって、AグループとBグループを比較すると、はっきりした違いが現れた。一方のグループでは、病気になった人の数が少なかった。それが健康管理の対象とならなかったBグループだったというのである。驚いた医師たち、保健担当機関の人たちが、なぜそのような事態が起きたのかという点について、さらにその原因に迫る調査、研究を行った。その結果は、治療上の過保護と管理が依存や抵抗力の低下をもたらすという結論だった。この調査結果は、まことに意味深長である。私たちの生き方全般についても、大いに考えさせるものを突きつけているように私には思える。
 確かに、保護されるということは、良いか悪いのかは人それぞれだから僕にはわからないという考えをもっている。けれど、赤ちゃんはほごしないと大変なことになってしまう。保護するということは、あるときには必ず必要なことである。その、手段がないと人間はだめになってしまう。勉強を例にしてみると、(保護という言葉に直接関係していないけれど。)僕は勉強が嫌いだ。といっても、あまり好んで勉強を好きになる人はあまりいないと思う。でも、勉強は、生きていく上で絶対無いとだめなものである。だから、仕方なく勉強をしている。家の母親はよくいう言葉がある。
「大人になるとねぇ、『あの頃もっと勉強しておけばよかった。』と思うから、ちゃんと勉強しておきなさい。」
といわれる。それをいわれて最近、勉強を少しだけ進んでやろうとしている。僕が大人になり、父親になったときそのことが頭に浮かびそうで怖い。この時期になると、クラス全体のざわめきがなくなる。それは、期末テストがあるからだ。みんな、夢中になって単語を覚えたり、教科書を持って声を出して覚えたりさまざまな光景を見る。当然といってもいいように、九教科だされる。この九教科は、テストの一週間や前日を苦しめる。三日間かけて行われるテストは、後の、高校入試にも関わってくる。重要な試験でもある。その中で、一つでも負担を減らそうとみんながんばっている。その負担というのは、苦手教科のことである。この苦手教科があるといろいろ苦戦し、時間を効率的に活用することができなくなる。これが多ければ多いほど苦しむうえに時間が削られていくのである。友達は、よく言う。
「私は別に苦手教科がないから時間を有効活用できるので、いつもテスト前は時間が有り余っているの。」
と、憎たらしいコメントをいっていたが、それはある意味うらやましいと思う。ところで、苦手教科は、苦手とつくぐらいだからやりたくない教科であるということはいうまでもないことだ。しかし、その苦手なものをそのままにするともっと苦手になると思う。人間は、好きなものは好んで飽きる瞬間までやるが、嫌いなものは、誰かにいわれたり仕方なくではないとやる気にはならないし、自分のためにもならない。だから、苦手なものを余計に苦手にするということは、自分を苦しめるだけの悲しいことである。
 逆に、あまりに、保護しすぎるのは、逆に−ということなので、放任するというのも大切なことだと思う。(意見)学校の中にひとりはいる。ヤンチャ者の話。何年になっても変わらないしいつになったらこいつは、かわるんだ!という人。僕は、ヤンチャ者をみていてとてもうらやましい。僕は、どっちかというあまりヤンチャなほうではなくそこまで目立っていないごく普通な存在である。ヤンチャな人のいいところって、ほったらかしにしていても自分なりに生きていくところが素晴らしいと思う。いつも、自然に浸っていて、誰の意見もあまり取り入れずに自由にぼんやりと過ごしているのがまた素晴らしい。僕は、一回だけそんな風になってみたいが、そんな風になる勇気もない。僕は、学校では、案外ものを考えて動くがそれがなくなるとどうなるか心配で嫌だ。でも、よく思うのは、それぞれ人には役割がある。その役割を無理やりやるのは、難しいことである。だから、ヤンチャな人はヤンチャでいいと思う。昔話では、例によってまた、桃太郎である。桃太郎は、桃から産まれてそれからのものおじさんやおばあさんは、手伝ったりはせず、桃太郎は、放任されながら生きていく。なので、昔話の主人公になったのです。これが、保護されっぱなしだと、旅の途中で死んでしまったかもしれない。
 保護していきいろいろなことをしたり放任をしていろいろなことをすることは、どちらも大切だが、やはりこれを考えるのは、自分である自分で考えこのチャンスを生かしていく、保護や放任はあくまでも手段であって、目的とするのは、人間の成長を常に意識するべきである。「大切なのは健康らしい外見ではなく健康自身である。」という言葉があるように、保護をする前にまず自分の中身を整理していくことが、自分へのステップアップでもあり、人間や自分への成長である。保護も放任も行き過ぎるのは、−になってしまう。今後気をつけたい。

   講評   jun


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