創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   言葉   うのた

 言葉と言うのは相手に表したい内容を伝達するための道具であり、我々はそれ自体にはほとんど眼を向けない。普通の人は日常的な経験を日常的な言葉で表現して満足する。しかし、詩人のような人は日常の言葉の枠を超えなければならない。言葉の魅力を満喫するのである(要約)。—言葉自体の面白さだけが日常の枠を超えたものになるのであろうか。私は疑問に思う。
 理由としてあげると、第一に、詩人が果たして駄洒落や言葉の遊びに重点を置いているのかという事である。「大江山生野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」。これは小式部内侍の有名な短歌である。ここの「ふみ」というのが掛詞、つまり「文」と「踏み」という二重の意味を持たせた洒落になっている。このセンスは確かに面白いと思う。一方、「古池や蛙飛び込む水の音」。これは松尾芭蕉の大変有名な俳句であるが、これには一切洒落を使っていない。しかし、この句を想像してみる。静かなところに「ぽちゃん」という音が聞こえる—。なんと表現してよいのやら判らないが、想像することで魅力、日常から離れた趣を感じる。「ああ、風情があるなぁ」と私は思う。これは言葉遊びの魅力ではないはずである。
 第二に、洒落というのはたまたまその国の言語で同音異義語を利用できるだけであって、他の国には通用しない。「サルが去る」という洒落(笑)を英語に直してみる。「Monkeys have gone.」となるのだが、英語を話す国の人たちが見てもそれの何処が面白いのか判らないだろう。言葉遊びは面白いし、私だってたまに使うし、それが日常からはずれた楽しさをもたらすのも大変承知だ。だが言葉の文字がその言語圏でたまたま一致しているだけのような気がする。つまり、文化の壁を越えることはできないと思う。自国の文化の内でならば別だが、どんな人にも共通の面白さを与えるのには不適ではないだろうか。
 確かに言葉を利用して言葉そのものの楽しさを見つけることは良いと思う。言葉を不透明にすると新たな面白さが見える。けれども、言葉が透明であると日常的かというとそうでもないと思う。言葉自体に仕掛けはなくても、相手に思わず想像させてしまう楽しさもあるような気がする。詩人は読み手に、楽しさ、悲しさ、苦しさ、嬉しさなどの想像を与える事で、非日常性を与える事ができるのではないだろうか。

   講評   sugi

 長文の要約、うまくできました。続けて意見ですが、今回は是非の主題を使った意見を書くのが難しかったね。筆者と反対の立場から意見を書くのは難しいけれど、字数、内容とも、よくこれだけまとめました。短歌、俳句を引用したのはすばらしい。それも、それぞれを逆の例として挙げたのが、とても効果的です。
 「言葉自体の面白さだけが日常の枠を超えたものになるのであろうか」と疑問を投げかけていますが、確かに言葉自体の面白さは、非常に重要なものとは言いがたいね。そこで、長文をもう少し深読みをすると、「言葉自体の面白さ」は詩の本質ではなく、詩の一つの側面ととらることができそう。実用重視で使う場合は、通じれば用は足りるけれど、詩人にとっては一つ一つの言葉が厳選され研ぎ澄まされていなければならないということだと思います。このように考えると、「言葉を厳選して使うことの大切さ」と、話を広げて書くこともできるかもしれないね。

 データ実例は、非常に入れにくかったね。次回はがんばって入れてみましょう。もし、使えそうないいデータを見つけたら、ぜひHPの数字の草に入れておいてくださいね。

「言葉と言うのは」→「言葉というのは」

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