国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   死を考える   ミュウ

 日頃、「死」というものを考えているだろうか。正直なところ、ほとんどの人は考えていないと思う。
 第一の理由は、ふだんの生活の中には死というものは見えないからである。食事で肉料理・魚料理を作って食べたりするが、わざわざ動物たちの死までは考えてはいないはずだ。親戚や、仲の良かった近所の人などが亡くなってしまったら、改めて死を考えることができるだろう。しかし、そんなに毎日のように身の回りの人が亡くなってしまうことはないだろう。よっぽどの理由がない限りは。毎日のように亡くなるということでなくても、長年生きている人は死について何度も考えたことがあるだろうし、人もたくさんいるだろう。しかし、私のように、あまり身の回りの人が亡くなっていないという人もたくさんいるだろうし、その人たちはそんなには死について考えたことはないだろう。つまり、毎日のように回りの人が亡くなるということはないため、ふだんの生活の中には死とは見えないのである。
 第二の理由に、第一の理由と関連づくが、日本では平均寿命が高いため、人が死ぬのも遅くなるからである。もちろん、平均寿命にも早くに死んでしまう人もいるが、世界銀行ATLAS2002のデータによると、日本は世界で一番平均寿命の高い国であるとのことだ。男女混合で81歳である。そのため、その長生きしている人の親戚となっている人は、その人の死には直面しない。また、国連「世界人口白書2002」のデータによると、男女別平均寿命は、男:77.8(歳)、女:85.0(歳)だそうだ。平均寿命がこんなにも高いのだから、その分、その人が死ぬのが遅くなれば、親戚の人や身の回りの人はその人のお葬式に出ることが遅くなるため、死について考えるのが遅くなっていくのである。つまり、平均寿命が高くなっていくと、人の死について考える時が遅くなっていくのである。
 確かに、平均寿命が高くなれば、生きている時間がより長くなっていくが、体が弱くなっていくため、病気になり、不健康になる場合もある。そんなときは、その老人は死が近づいてくることが分かってきてしまうため、死について考える時が多くなるかもしれない。しかし、健康な状態であれば、そのようなことは考えはしない。つまり、死について考えるときは、身の回りの人が亡くなるとき、そして、老後に不健康になってしまったときなのである。そのため、若い人たちは、人が亡くなったときしか考える時ができないのである。

   講評   nara


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