国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   言葉の愛   ルフィ

 日本人は、漢字は自分たちのオリジナルで普遍のものだと信じている。だから、例えば中国人の名前をその国で一般的に呼ばれている名前で呼ぶよりも、日本の漢字の読みで読む方がはるかに安心する。しかし、呼びなれない音で呼ばれた中国人のほうはどうだろうか。言葉には愛がある。その人を愛するのならば、相手の呼ばれる音でその人を呼ぶべきである。私もこの意見に賛成し、このような生き方を目指したいと思う。
 そのための一つ目の方法としては、相手から呼ばれる言葉に含まれる愛を感じることであろう。先日、某私立高校の過去問をといていたところ、手書きとワープロの文章について出ていた。そこには、「普段の手紙がワープロなら許せるが、ラブレターは手書きでないとだめだ。また、ワープロで来た手紙なら何だとしても返事を送らない」という非常にわがままとも取れる(笑)筆者の言葉がのっていた。だが、それもそうかもしれない。手書き文字と活字では感じるものが違う。それは、言葉でも同じではないか。どんなに饒舌な人が喋っても、たなかさんをでんちゅうさんと呼ぼうものならばまったく心に響かない。逆に、不器用な言葉であっても感情を込めて相手の名前を呼べばそれは必ず伝わるのだ。
 歴史を振り返るという方法もある。(伝記)なぜそうするかというと、日本は、韓国併合の時に韓国人に日本語を使うよう強制したという歴史を持つからだ。そのために、今も日本人と聞くだけで違った目で見てしまうという人がいるようだ。悲しいことである。しかし、同時に起こってしまったことでもある。だから、私たちはそれを繰り返さないように原因をしっかりと理解しなくてはならないと思う。そして、私はその原因が先の日本語の強制にあると思っているのだ。母国語というものは、その国の誇りである。それを使わせずに、自分たちの生活を奪った国の言葉をしゃべらなければならないという状況にさせられた彼らは、プライドを著しく傷つけられたのではないか。これが私の見解だが、いずれにせよ言葉は、愛も持つが利用の仕方によっては凶器にもなりえるのである。
 確かに現代のインターネットは便利で合理的だ。そんな愛など技術の発展には無用なのかもしれない。しかし、「家の批評ができるのは、建築家ではなく住む人である」という名言のように、いくら技術者がすばらしい、使いやすいインターネットのような骨組みを作り出しても、利用者がそこに暖かさを感じられなければ、それはただ住むだけ、ただ生きるだけという無気力状態に限りなく近くなってしまう。小学校のころ、道徳の時間だったと思うがこんなことを言っていた。[植物ってのはね、ただ水と肥料をやるだけじゃ育たないんだ。愛情を込めないと、だめなんだよ]と。私も、愛情を込めて水をやることによって周りの人に大きな花を咲かせてやりたいと思う。

   講評   kira


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