創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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昔の言葉 うりほ
言葉は語源がわからなくなると、もとの語の発音や意味に変化することがある。漢語の場合には、それに使われた漢字が忘れられると、意味用法の転ずることが少なくない。ことに話し言葉では漢字でどう書くかを問題にしないから、意味を支持するものがないためにとかく変化しがちである。言葉の正しさを論ずる時にとかく語源が引き合いに出されるが、語源の通りでは社会状勢の変化のために合わなくなるものが多い。社会は複雑になり、人の心理も単純ではなくなるから、語源の通りであることが正しいということになると、今の現実の社会には合わないことになる。結局、言葉は各人の言語意識によって動いて行くようである。そして、その言語意識を作り上げるのは、主としてその人の経験、教養、学校で受けた教育である。言葉の正しさの規範意識もそこから生まれ出るようだ。私は実態に合わせて言葉を変えていくべきではないと思う。
第1の理由は今まで親しんできた言葉を突然変えてしまったら混乱が起こるからだ。例えば数学の言いかただ。小学校の時は数学のことを算数と言い中学校の時は算数のことを数学と言わせるからだ。私の中学校は、数学以外ににも小学校の時と違う呼び方をするところがある。それは職員室の呼び方だ。私の中学校での呼び方は、校務センターと言う。今は慣れてきたが入学当事はかなり混乱した。友達に校務センターの場所を聞かれても私は校務センターの意味すら分かっていないことがよくあった。
第2の理由は、日本の文化に根づいた慣れ親しんだ言葉には愛着があるからだ。例えば、お正月には、おせち料理と絶対忘れてはならないお年玉など昔から多くの人が共通して感じる感覚があるということがわかる。言葉も、昔ながらの使い方がいちばん落ち着くのではないだろうか。
確かに実態と言葉が一致している方がわかりやすいこともある。しかし「自分の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない。」と言う名言があるように自分自身の言葉が内限り私達の人生は充実しないのではないか。昔ながらの言葉の役割を少しは見なおすべきである。
講評 jun
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