国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   いろいろな人たち   うここ

食事というものは、いろいろな条件に制約された文化という構造体の重要な部分である。何をいつ食べるか、それをどう食べるか、食べてはいけないものは何か、といったことに関して、どの国の食事にもさまざまな制限や規則が習慣として存在する。白い米の御飯は、日本食の場合には、食事のはじめから終わりまで食べられる。というよりは、米の班だけを集中的に食べることは、むしろいけないとされている。私たちが、外国語を学習する際にも、自国語の構造を自分ではそれと気付かずに、まず対象に投影して理解するという方法をとりやすい。従っていろいろとく食い違いが生じてくるのも当然である。(要約)
日本では、知り合いの人に会うと「こんにちは」とあいさつするか、もしくはかるく会釈をする程度だ。けれど、アメリカ人などはまるで一年以上も会っていないように抱き合ったりしてあいさつを交わす。オリンピックなどでも、メダルをかけてくれる人が白人の人だと頬と頬を合わせてからメダルをかけてくれる。でも、そういうことをしない日本人はやっぱり少し恥ずかしがりやなのかなあと思った。
それに、宗教によってもいろいろと違いもある。シンガポールにいるといろいろな宗教の人を見かける。まずイスラム教。イスラム教の人はいつもスカーフを髪に巻いている。髪の毛を見せてはいけないからだそうだ。それからヒンドュー教のインド人。インド人はいつも身にサリーをまとっている。こちらは肌を見せてはいけないのだそうだ。それから、ときどき真っ黒い服を着て目しか出していない人を見かける事もある。言っては悪いけれど、スーパーなどで見かけるとビックリしてしまう。この前はイスラム教の人たちのラマダン(断食)があった。だから、夜の七時以降にならないと何も食べてはいけないそうだ。もしのどがかわいたら私なら水を飲んでしまうだろうなあと思った。
私は世界中にはいろいろな人がいるのだなあということが分かった。ほかの宗教にくらべれば仏教は大変ではないなあということが分かった。

   講評   ita

<構成>
前回、字数が少ないと先生が講評で書いたので今回は少しオーバー気味にしてしまったのかな? 大体200字位でまとめようね!(むずかしいよ〜先生、という心の叫びが聞こえてきそうです。(^^ゞ) たとえば今回だったら「外国の食事の中にありながら、その食物と他の食物との関係が、自国の食事の場合と違うという、つまり同一の食物の食事全体における価値が、文化によって異なるときに、難しい問題がおきるのである。」の部分が「外国語と自国語の置き換え」の部分と対応していることに気がついたかな? だからこの文章を入れておくとスムーズにつながるよ! 
<題材>
「見た話」「調べた話」どちらもよく書けていますね。字数もしっかり足りていますよ。習慣、宗教から生じるいろいろな違いがありますね。有紀ちゃんのいうとおり、仏教は大変ではないのかもしれませんね。
<表現>
「たとえ表現」はうまく使えていますね。たしかにアメリカ式のあいさつは「ついこの間会っているのに……」と日本人には思わせるものですね。「いろいろな思ったこと」が今回は少し少なかったかな?「〜にちがいない」「〜だろう」に置き換えてみようね。
<主題>
面白いことがわかったね。先生はインドネシアにいたときに先生の水を飲む音が聞こえるのではないかとハラハラしたことがあります。
            

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